わたしが今の職業に就くことを考え始めたのは小学校3年生の時からだった。
今では周りの人に真面目だねと言われるが、小学校時代のわたしは宿題はやらず勉強も嫌いな子供だった。
それでも祖父や母の影響で読書だけは好き、という真面目とは程遠い、クラスのやんちゃな男子と放課後居残りさせられては出された課題を適当にこなして帰っちゃうような、そんな子供だった。
小学校3年生の夏。将来は看護師になるんだと思った私には使命感があった
そんな子供が何を思ったか、将来は看護師になるんだと思ったのが小学校3年の夏。
理由はありがちで至って簡単な、「親が看護師だったから」だ。
それにその頃一番仲が良く、家も近かった友達が看護師になると言ったのも理由の一つだったと思う。
そして何故か漠然と「人の役に立つ仕事をしなければならない」という使命感があった。
看護師だったのは母親だ。
わたしがお腹にいる時も生まれてからも、とにかくバリバリ働いていて、身体がボロボロになるような夜勤もこなしていた。
彼女はわたしが小さい時から「看護師の仕事は自分にとって天職であり趣味」だと言って聞かせて来た。
仕事の愚痴は一度も聞いた事がなく、口から出てくるのはいつも、患者さんとの楽しかった出来事や嬉しかったことだった。
そんな話を聞かされて育つ内に、自分の中で自然と看護師という仕事が印象に残っていたのだと思う。
実習中だった私は、成人式は出ない選択をした。今までで一番勉強して国家試験に合格した
とは言え、小学校3年生が友達と親に何となく影響されて何となくなろうと思った仕事に簡単に就ける訳はない。
しかし、何と奇跡か気付いたら看護師になっていたのだった。
こんな風に書くと嫌なやつだと思われるかもしれないので、一応書いておく。
そうは言ってもそれなりに勉強はしました!!!
今でも少しのモヤモヤとして残っているのは、成人式に出ない選択をした事。
ちょうど実習の最中に成人の日があり、タイミング悪く大雪の降った日だった。
風邪でも引いたらどうするんだと母親と祖母二人に説得されて出ない事を決めた。
懐かしい顔ぶれに会ったよと振袖を着て送ってくれた親友二人が映った写真は、嬉しいようですごく寂しい気持ちになったのは今でも忘れていない。
そんな気持ちを経て、心身ともに大ダメージを受ける実習を終え、「今までで一番勉強したね」と言われた国家試験も何とか合格した。
そう、ここまで読んでお分かりかと思うが母は厳しかった。
責任の重い仕事だけれど、看護師として、わたしは「生きるために、今日も働く」
ぼんやりとでも、人の役に立つ仕事がしたいと思って看護師になって今6年目。
数々の個性溢れる患者さんや同僚に出会い、転職も経験し、命を削って夜勤をこなし、そんな今思う事は…
「生きるために、今日も働く」
これに尽きるのかもしれない。
正直な話、看護師の仕事は簡単ではない。責任も重く、さまざまな対応に追われ、リズムが乱れた生活、命を削っていると言っても過言ではない夜勤、足腰への大ダメージ、その他あんまり公に書けない理不尽etc…
こんな事を経験して早6年、廃れない訳がない。
もっと正直な話、楽な仕事がしたいとさえ思う。
でも、看護師以外の仕事に転職しようとは思わない。
看護師以外に興味のある仕事がないと言う方が正しいかもしれない。
大好きなドラマの主人公が「働く事は生きること」と言った時、本当にしっくり来た。
わたしは母親のようにはなれない。
看護師という仕事を趣味には出来ない。
これは、親不孝なのかもしれない。
それでもわたしは今日を生きるために働く。
生きるために働く事でいつか、働かずに暮らせる日が来ると思っている。
なんだか矛盾する事を言っているような気がしてきたが…
お酒を飲む、親友と会う、ディズニーに行く、映画を観る、本を読む。
なんて事ないありきたりな話ではあるが、これらはわたしを作る大事な要素だ。
これらを失くしたらわたしは生きていないのと等しくなり、わたしはわたしでなくなる。
やりたい時にやりたい事を我慢しなくていいように、わたしは今日も働く。
廃れても酔い潰れても。