わたしは人生で経験した受験はすべて失敗している。

高校受験を失敗して、私立の高校にいくことが決まったとき、
わたしは心のどこかで嬉しかった。
本当は行きたかった学校だったのだ。

先生の一言で、もうわたしには英語しかないと思えた

貧しかったわたしの家は、私立の高校を第一志望にすることは許してくれないだろうと思い、公立の高校も受験した。だが、行きたいと思っていない学校のための受験勉強に身は入らなかった。

公立高校に落ちたとき、母は想像以上に激怒した。
怒鳴られ、泣かれ、今でも忘れることのできない罵倒を浴びせられた。
結局奨学金を借り、全額自費で高校生活を送った。
奨学金は借金だ、高校生で借金するなんて将来どうなるか...と小言を言われながら。

この出来事がきちんとトラウマになったわたしは、高校では真面目に勉強した。
特に英語への熱量はすごかった。

通っていた中学校はその地域で一番学力レベルが高いとされている学校で、周りについていけなかったわたしに当時の英語の先生が
「英語の発音が綺麗だね。将来英語を使う仕事をしたらいいと思う」
と声をかけてくれた。

心底救われた。
誰も落ちこぼれたくはない。だが落ちこぼれてしまったとき、可能性を見出してくれる大人がいることがどんなに心強いか、わたしは身を以て知った。
もうわたしには英語しかない、そういう覚悟で英語ばかり勉強して、
英文学科のレベルが高い大学の附属校である高校に興味を持ったのだった。

とても惹かれる大学ができたけれど…

母には悪いが念願叶っての高校生活。
そこには明るくて、優しくて、真っ直ぐな友人たちと、
中学時代には一人だけだった、可能性を見出してくれる大人がたくさんいた。

高校生活の中で、目標にしていた附属大学の英文学科の他に、
とても惹かれる大学ができた。

学費は年間約160万円。そして東京でのひとり暮らし。
学生支援機構の奨学金を満額借りても生活は厳しい。
何より、奨学金は借金。母の声が、木霊する。

推薦枠は一枠だった。
アルバイト代を家に入れて生活してたわたしは、受験勉強の時間をとるのは難しいだろうと思い、
普段から成績が良い状態を保ち、推薦で大学に行くと決めていた。
成績や模試順位から算出される推薦順位によって推薦枠を争う。
金銭問題以前にわたしには無理だと思い、考えないようにしていた。

「あんた頑張ってたのね」と母は言った

高校3年生になって、推薦順位が発表された。
わたしは約160名中、5位だった。
そして1〜4位の中で、その大学への希望者は、いなかった。

「本当にそれでいいのか」
可能性を見出してくれる大人のひとりの担任が、あきらめようとするわたしに声をかける。
彼はとても熱心な教師だった。
三者面談では母に向かって、わたしがいかに勉強熱心で、向上心があって、自分に厳しくて、良い学生であるかを熱弁してくれた。
そしてその大学がどんなにいい大学で、卒業した後に待っている未来が素晴らしくて、金銭問題で諦めるなんてもったいないと説明してくれた。

母はそこで初めてわたしが真面目な人間であることに気付いたようだった。
「あんた頑張ってたのね」
三者面談の帰り道、車中で母に言われた言葉を忘れない。

17才にして、人生は不条理であることを知った

わたしは結局その大学へは行けなかった。
金銭的に、どうしても現実的ではないと判断した。
いまでもわたしは、あの時の決断が合っているかどうかわからない。
もしかしたら何か方法があったのではないか。そう思ってしまうが、
期待することにすっかり怖くなってしまっていて、道を見つけられなかった当時のわたしを、責める気にはなれない。

当時、周りの友人たちが自分の意思で自由に進路選択をしているのを直視するのがつらかった。
わたしの方が成績がいいのに、頑張っているのに、どうして。
そんなことを考えては、ベッドで泣いている毎日だった。
なにより大好きな友人たちの将来選択を恨めしく思ってしまう、自分の心の汚さが大嫌いになった。
17歳にして、人生は不条理であることを知った。

そしてそのとき、将来必ず自立して生きると決めた。
人生は生まれ持ったものに左右されない。そう自分に証明するために。

わたしは今年27歳になる。
大手外資企業でのキャリアを手に入れ、いまも必死で証明を続けている。

でも17歳のわたしは、まだ泣いている。