私は外見に全く自信がありません。

高校のときのプロム(のようなパーティー)では可愛い子から売れていき、私が売れたのは後ろから2番目。
大学生のときに所属していたバドミントン部でも、就職してからも、先輩が飲み会に誘うのは可愛い子だけ。または、芸人かってほどめちゃくちゃ面白い子だけ。
友だちの可愛い子に、「先輩から誘われたから一緒に行かない?」と誘ってもらっても、私が行くとがっかりするんじゃ…と断り、全く誘われなくても、やっぱり可愛くない私だけが仲間はずれにされている、と思ってしまう。

『可愛い子だけずるい』私は可愛くないから、仲間はずれにされている?

メイクや服装でカバーできるところもあるとは思いますが、こんなに理不尽なことってないと卑屈に思っていました。勉強もスポーツも人一倍努力してきて、国立大学にも入って、部活ではいつも上位を争っていました。
そして、それをひけらかさないことはもちろん意識してきました。

でも、外見だけはどうにもならない。
就職してしまうと、学歴や運動能力なんて余計にどうでもよくて、見られるのは外見メイン。どんどん、自分に好意がない人に対して、『この人は私が可愛くないから私のことを嫌いなんだ』と気にするようになり、『可愛い子だけずるい』なんて思っている自分がそもそも嫌になっていきました。

でも、そんな私にも友だちはいて、ある日こんなことを言ってくれました。
「自分にとって近いと思う人を3人イメージしてみて。その3人の平均が、あなたなんだって。私はあなたを思い浮かべたよ、あなたは最高だから、私も最高ってことだよね」
私が思い浮かべた人は、みんな優しく大好きな人。
そんな素晴らしい人が近くにいてくれる自分は、もしかしてそんなに悪くないんじゃないか…?

「大好きだよ」。私の近くには素晴らしい人がいることに気づいた

それから私は、付け焼き刃の自己肯定感と強い結婚願望を武器に、運良く今の旦那さんと出会いました。
旦那さんはお世辞でも毎日、「かわいい大好きだよ」と言ってくれ、さらなる自己肯定感を手にした私は、お局と馬が合わなかった職場を辞め、小さい頃からの夢だった仕事に転職。
中身を評価してくれ、誕生日には「大好きだよ」と連絡をくれる友だちにも出会いました。

そんな満たされた日々を過ごすうちに、飲み会に誘ってもらえないことなどどうでもよくなり、義理で出していた年賀状を辞め、大切でない知人からの連絡は適当にあしらい、その分大切な人と過ごせる時間が増えました。
そして、外見や周囲の反応ばかり気にしていた自分ではなくなりました。

外見が何より大切だと思ったり、中身が何よりと思ったり、それはときと環境の変化、そして何より自分の考え方ひとつで変わっていくのだなと思います。

大切なのは、「自分にとって」何が大切か。
誰からも好かれることが生きがいなら、それもいいかもしれません。
外見を磨くことが幸せなら、もちろんそれは素晴らしいこと。
でも、それが苦しいと感じるなら、私は何を一番したいのか、一度立ち止まって考えてみるのもいいんじゃないかと、今は思います。

自分が好きな自分でいること。友だちの言葉があったから今の自分に出会えた

今のわたしにとって大切なことは、がんばってがんばって飲み会に誘われることじゃない。大切な友だちや家族を笑顔にすること。自分の評価を他人だけに任せず、自分が好きな自分でいること。

今の自分に出会えたのは、友だちの言葉があったからです。
そして、その付け焼き刃でも自己肯定感を持って行動できたからだと思います。
これからも、私を「近いと思う3人」に入れてくれる人たちのためにも、恥じない行動をしていきたいと思います。