私は、人を容姿や肩書きなど、見た目で判断したくないと思っている。一番大事なのは内面だと信じているし、目に見えている部分はその人のほんの一部だ。

けれど、容姿が整った人や高学歴な人、素晴らしい肩書きのある人に惹かれてしまうのは事実で「人間中身が大事だ!」といくら言っても覆せないものだ。

「見た目は内面の一番外側」というけれど、たしかにその通りだと思う

事実、好きなアイドルは今でこそ内面も好きだが、最初は見た目がタイプだからファンになった。有名大学を卒業していたら「この人はきっと仕事もできる人なんだろう」と期待する。

物についても、同じことがいえるだろう。少しも面白くない小説が、芥川賞作家の書いたものだと聞くと、とたんにいい小説のように思え、人間は相手のことを勝手に想像してしまう。

しかし、見えている部分だけで判断するのは間違っている。いくら可愛くても性格が歪んでいるかもしれないし、有名大学を卒業していても仕事ができないかもしれない。凄い賞をとっていても、私にとって面白い本ではないかもしれない。

でも、人に出会った時に初めて触れるのは、内面ではなく外見であり、ある程度先入観ができてしまうのは仕方がないことだ。“見た目は内面の一番外側”という言葉がある。人に見えている部分も内面に含まれると。たしかにその通りだと思う。

類は友を呼ぶし「見た目」に性格や好みは表れるって、本当だと思う

大抵の場合、いつも美しい体型をキープしている人はストイックな性格で、清潔感のない人は生活がだらしない。以前私は、今より8kg太っていて、見た目も冴えずどことなく野暮ったかった。その時は、友達も太っている子、見た目に無頓着な子が多かった。可愛い洋服を集めるのが好きで、もう少し垢抜けたいとは思っていたが、私服は着れないし校則が厳しくそれを破る勇気はなかった。そして、可愛くなりたくてもどうすればいいのか、さっぱりわからなかった。

今はその時からすれば、ましになったと思う。ヘアアレンジをしたり、校則の範囲内でおしゃれを楽しむようになったり、スカートは折って、靴下やローファー、カーディガン、それと少しのメイクにこだわる。気づけば、おしゃれ好きな友達や同じような体型の友達ができていた。

類は友を呼ぶし、見た目に性格や好みは表れる。外見の扉を開けてこそ、内面が見えてくる。だから、一番人の目に触れる場所を磨くのは道理にかなっているし、内面に興味を持ってくれる最低限のラインはクリアしたいところだ。そして、あわよくばいい印象を与えたい。やはり内面も大事という意見は変わらないが、私は見た目をより良くしようとし続ける。

私は、人を見た目で判断したくないけど「中身が全て」と言い切れない

恋人を選ぶ時も、外見と内面どちらを重視するかという問題がある。多くの人は、聞かれたら「内面を重視する」と答えるだろう。もしかしたら「外見さえよければ内面はどうだっていい」と答える人もいるのかもしれない。だが恋人は、観賞するものではない。性格が合わないと一緒にいる時間が苦痛だと思う。

だからといって見た目はどんな人でもいい、内面さえ魅力的ならそれで十分だと私はいいきれない。残念ながら、聖人君子ではないので。やっぱり、自分のタイプというのはある。嫌いな顔の人とキスするのは嫌だし、変な服装の人の隣は歩きたくない。そもそも見た目が好みじゃなければ、相手のことを知ろうとしないだろう。

結局この問題の答えは、外見とも内面ともはっきり答えられるものではない。外見7割、内面3割とか比重が人によって異なるだけで、どちらも重視しているのが正直なところだろう。

人を見た目で判断したくはないが、ある程度は判断しても致し方ないというのが私の結論だ。