「あんたは時給泥棒や、あんたになんで1000円の時給払ってると思ってんねん」
大学時代、人生初めてのアルバイト先で言われた一言。これが今では原動力です。

私は、高校で野球部のマネージャーを経験しました。ただ毎日がむしゃらにグラウンドで選手をサポートするのが楽しくて、アルバイトとは無縁の生活を送っていました。大学生になり、アルバイトを始めました。採用されたのはたまたま求人広告でみつけた地元のカジュアル割烹。何でも物事をビシバシ切るママさんが1人で家庭料理のおばんざいを並べるお店でした。

半年が経ち、仕事も覚えて役に立っているはず、そう思っていたのに

初めてのアルバイトで右も左も分からない私に一から教えてくださりました。主な仕事は調理補助や洗い物、お酒の提供でした。最初の3ヶ月は順調に働いており、常連さんも多く可愛がってもらいました。しかし、半年経った時にママさんに言われました。
「なあ、働く人の3つのタイプ教えたるわな。"お金を取りに来る人"、"お金をもらう人"、"お金を生み出す人"やねん。まだあんたはお金取りに来てるわ。時間を過ごしてるだけやねん。」
そう言われ、自分自身かなり働けていると思っていたのが恥ずかしくなりました。
「まあこの店にいた女の子は自分からお客さんに話しかけて、会話広げてお酒もらって自分で自分の時給稼いでたぐらいやわ。それにあの子目当てで来るお客さんもおったよ。」
と続きました。

あまりの厳しさに号泣する私に、母は「辞めたら」とは言わなかった

その日からママさんはとにかく厳しくなりました。
そのお店はアルバイト1人体制で営業していたので、前任の卒業された方と比べられるようになりました。私は悔しくて悔しくて何度もやめようと思いましたが、負けず嫌いが出て意地でも毎日お店に向かいました(辞めると言い出す勇気がなかったのもあります)。

そんなある日、私の仕事ぶりに苛立ったママさんに
「あんたは時給泥棒や、何であんたに1000円の時給払ってると思ってんねん。前の子の倍かかってるやないの。こっちはあんたに色々教えてその上お金払ってって、おかしい話やと思わへんの?」
と言われました。さすがに我慢できずに、その日は家に帰ると出迎えてくれた母の前で号泣したのを覚えています。

その後、母に話をすると、辞めたらいいと言われるのではなく、
「はたらくって、"はた"を"らく"にすることなんやと思うねん。だからママさんを楽に出来る様に働いてみたら?」
と言われたのです。その言葉で何か自分の中ががらりと変わり、次の日から心を入れ替えて仕事に取り組みました。

一生懸命に働きぬいた四年間 ママさんに最後にもらった愛の言葉

段々ママさんに認めてもらえるようになったと感じていた2年半ごろ、ママさんに
「あんたやっとお金もらう人になったな。時給相応やわ。」
と、言われました。それでも私は嬉しくて。
あっという間に4年が経ち就職に伴って卒業することになりました。

「就職して、どんなか辛いことあっても簡単に戻ってきたらあかんで。私はいつでもおるけどその一瞬をしっかり踏みとどまれる子にあんたはなれたと思う。しっかり"お金を生み出す子"になったな。あんたの卒業でこんなにお客さん来てくれるなんてすごいことやで。よお頑張った、ありがとう。」
ママさんからの最後の言葉が嬉しくて愛を頂きました。4年かけて私をこんなに強くして下さり、時には守って下さりました。
社会人になった今、私の目指すところはママさんです。あんなにかっこいい女性になりたい。常に120%の行動をする、人生楽しむ。そんなことを考えながら今日も出勤しています。

最後に、ママさんがいつも言っていたこと「人間死んだらなんぼでも寝れるねんから誘いは絶対断ったらあかん。しんどくても行く。最後に残るのはマンパワーや。」
今の私、その精神はしっかり受け継いでます。