自分の外見に興味がなく、化粧をしない価値観を作った母の存在

私は昔から自身の外見にそれほど興味を持つことが出来ない人間だった。

それは結婚して子供を産んでも変わらなかったのだけれど、子供が大きくなって出来たママ友という知り合いも、働き先の先輩達も、というかすれ違う人達のほとんどがみんな当たり前のように化粧をしている。

私は化粧があまり好きではなかった。何度かやってはみたのだけれど、手先が不器用なので向いていないのとパウダーが肌に張り付く感じがとても息苦しかった。

でも、すっぴんである自分に自信があるわけでもなくて、時折言われる「可愛いからすっぴんでもいいよね。」という言葉が私の胸をチクンと刺した。

今の社会にとって化粧をすることがマナーだということは分かっている。きっと、あの子のママは、あの店員さんは、と影でコソコソと言われているんだろうなと思う。それはそれで嫌だけれど、それよりも私は化粧をすることが嫌なんだなと最近、より強く思うようになった。それは何故かと考えると、ひとつ思い当たる節がある。母親の存在だ。

母の言動から作られた価値観が、私から化粧を遠ざけていく

私の母親は道ですれ違う人達の見た目を影で評価するような人だった。

「あの人は太ってるのにあんな格好して。」だの「あの化粧、全然似合ってない。」だの、何かと人の見た目に対してケチを付けないと気が済まないようだった。買い物中に聞かされる母親の他人に対しての評価を、幼い頃から私はただ聞くしか出来なかった。

母親の他人への評価は貶すだけではなく褒めることもあったけれど、私は「自分の好きな格好をしているだけなのに、ただ道ですれ違った人にここまで言われなくちゃいけないんだ。自分に似合った格好をしないと影で笑われるんだ。」と思って、徐々に他人の目が恐ろしくなってしまった。

特に私はぽっちゃりとしていたので、余計にそう感じた。私は他人に笑われる対象なんだと。

それならばダイエットをするなり、可愛くなるメイク術を覚えれば良かったのだけれど、何故か私はそれとは反対にオシャレをすることが怖くなった。

私は可愛くなんかないけれど、何をしても笑われるぐらいなら何もしないほうがマシだ。どれだけ努力して可愛くなっても知らない誰かに評価されて影で笑われるぐらいなら、すっぴんのまま笑われたほうがまだ楽だ。

こんな社会のマナーも身になってない人間だけれど、それでもそばにいてくれる人を大切にすればいいじゃないか。それに、化粧が社会のマナーだって誰が決めたんだ、なかには病気で化粧をしたくても出来ない人だっているのに。女性は化粧をしなくてはいけないのに、何で男性は許されるんだ、とまるで中高生の反抗期のような気持ちだった。

自然体な自分でいるために、外見だけで判断される時代を失くしたい

そんな私だったけれど、結婚して家庭を持ったし友達もいる。見た目より中身でしょ、なんて言える人間ではないけれど、すっぴんの私のことを「可愛い。」と言ってくれる旦那や家族を私は大切にしたいと思っている。

化粧やオシャレをすることは楽しいと思うし、何より自信にもなるんだろう。

でも、そういう人達だけじゃないってことを理解してもらえる社会になって欲しいなと切実に願っている。見た目で他人を評価する時代はもう終わりにしよう。自然体で好きな自分でいるために、私はこれからもありのままの姿で居続けたい。