たまに、考えてしまうことがある。あんなにも待ち望んでいた、大人になったのに。大人になった今、老いることが怖い。私は見た目に自信がなくて、鏡を見て外に出られない日がある。

特段、不幸な環境で育ったわけではない。一般的な家庭で、それなりに愛情を注いでもらい、それなりに友達もでき、恋もした。それでも、私がそうなってしまった原因は、今までに人からされたルッキズムのせいなのかもしれない。

大学生になり、見た目への差別は、見えなくとも確実に私を蝕んだ

小学生の頃、生まれつき軽度のアトピーであった私を見て、名前も知らない他クラスの男の子が「見ろよ。あいつ、ブツブツがある。きったねぇ」と言った。

中学生の頃、人から認められたくて、褒められたくて、学業や生徒会活動を頑張った。それでも、何もしていない可愛い子は人から好かれ優遇されることを知った。

高校は女子の割合が多いところへ進学した。しかし、周りは私の見た目に対してどんな評価をしているのか。それだけが気になった。

大学へ進学し、見た目への差別はいっそう激しくなったと感じた。何かいじめられたとか、そういう訳でもなかったがそれは目に見えなくとも確実に私を蝕んだ。可愛い子は認知されるのに、私は覚えてもらえなかった。可愛い子の隣にいるのが苦しかった。誰もが美しくて、可愛い子を隣に置きたがった。その頃、恋人の友人に「あのくらいなら、奪える」と話したこともないのに言われていることを知った。

見た目が全てなのだ。

若いからと許されていた事が、もしかしてあるのではないだろうか

22歳になった頃、初めて老いることへ恐怖を感じ始めた。若い人が年下の子に言う「うちら、おばさんだから(笑)」が嫌いだった。私は、まだまだ若いそう思っていた。けれど、ふとした時に鏡に写る自分のシミが、シワが、毛穴が気になった。

自分の肌が汚い、このまま老けていくのか。若いからと許されていた事が、もしかしてあるのではないだろうか。若いというステータスがなくなった醜女はどう扱われるのだろう。怖い、年をとりたくない。怖い。

そうやって、グルグル考えてしまうようになった。その頃、卒業論文の話があるため、どうしても研究室に向かわなければいけなかった。私のゼミの先生はすごく変わった人だ。おっとりしたおじいちゃんかと思えば、過激なことも言うし、アフリカやコンゴに住んでいた頃の話をしてくれることもある。とても非現実的で危険な話だった。一体何者なんだ……と思う事が多々ある。先生は自分はまだまだと謙遜するが、膨大な知識と引きつける人間性が魅力的だと感じる。先生には悩みを相談することはあまりない。それなのに、いつも私の悩みを知っているかのようなタイミングで言葉をこぼす。

どうすれば若くいられるのか。そんなことに捕われすぎていた

この日も先生といつものように雑談をしていた。「最近、長時間座る事が多くて、腰が痛いんです(笑)体が老いるのは大変ですね。運動しなきゃ」と何となく私が言った。その時、先生がふと言った言葉が忘れられない。

「死に方を考える方が、よっぽど前向きな事ですよ」
先生は的外れなような、的を射るような変なことをいつも言う。それでも、この言葉は私が感じていた見えない不安を少し、拭ってくれた気がした。

「自分がどうやって死にたいか考える。そのために必要なことは何か考える。死はいつでも、誰にとっても平等で、先にあって、目の前にある。先にあることを考えるのは何より前向きと言えるよ」

私は必死に抗っていたのだ。前に進まず、どうすれば戻る事ができるのか。どうすれば若くいられるのか。そんなことに捕われすぎていた。

自分がどんな風に死にたいか、どんな風に年を重ねたいか。そう考えることで、もっと自分が自分を好きになれるような老い方ができるのではないだろうか。

本をたくさん読んで、物知りで、外国語も話せて、休日には凝った料理をしてみる。美術館に行って、たまには旅行にも行っていろんなものを目にする。エッセイや詩を書いて、自分を記録したい。なんだ、私が死ぬまでにやりたいことはまだまだ色々あるじゃないか。そう思った。

私は私を愛せるように死にたい。あの言葉のおかげで今はそう思える。