メガネを外すと、音も匂いも分からないし、会話もうまくできなくなる

私は、メガネをかけている。視力が両目ともに0.1を切っているから、メガネなしでは生活できない。しかも私はメガネが好きだ。自分のメガネも好きだし、好きになるアニメキャラはみんなメガネをかけているし、メガネをかければ誰でも魅力的に見えると信じている。そのレベルで、私にとってメガネは必要不可欠であり、大好きなのだ。

私は友人に言われる。「メガネを外すと、どのくらい見えないの?」と。どう説明したらいいのか分からないけど、今見えている範囲だとあの看板は読めないとか言って説明する。そしたら「そうなんだー」と言われて、このトークテーマはおしまい。

でも、私がメガネを外すとできなくなることは、遠くのものを見ることだけじゃない。あんまり理解されないけれど、メガネを外すと音も聞こえずらくなったり、匂いも分からなくなったり、おしゃべりもたどたどしくなる気がする。目から入ってくる情報が不確かになると、他の情報も自信がなくなってくるし、相手と目を合わせづらくなるからかもしれない。

電話も食事もメガネが不可欠。もしもメガネがなかったら…

だから、私はメガネをかけていないときに電話がかかってきたら受話器を握るよりも先にメガネを探すし、曇ったとしても食事中にメガネは外さない。この話をメガネをかけていない友達にしたら、「そんなに目が悪いの?」と言われた。いやいや、だから目だけじゃないんだってば。そう思って、メガネをかけている友人にも言ったことがあるけど、「いや、そこまではしない」と言われた。私の想定では、メガネをかけている人あるあるな話として盛り上がる予定だったのに。

もしかしたら私は人よりもメガネに依存して生活しているのかもしれないし、メガネのおかげで身の回りの物を色んな意味で認識しているのかもしれない。もしもメガネがなかったら、他のものに興味が持てないような、つまらない生活を送っていたのかも。

冠婚葬祭、成人式。メガネを外した自分は自分じゃないみたいだった

でも、そんな私でもメガネを外さないといけない日がある。冠婚葬祭だ。私の家族からすると、私はメガネをかけていない方が可愛いらしい。冠婚葬祭の日には華やかな服装をするので、私の黒縁メガネは似合わないというもっともな理由もあるみたい。だから、私はコンタクトを付ける。時間がかかるけど、本番の何日か前から練習して何とか付けられるようにする。慣れていないだけにつけられたときは嬉しいけど、鏡を見てみるとなんか変。目つきは悪いし、自分じゃないみたい。

この前、成人式に出たときもメガネは外した。振袖にメガネは合わないという母の主張はすぐに受け入れて、コンタクトを付ける練習を始めた。練習のために本番までの1週間はコンタクトを装着しただけの素顔で過ごしていたけれど、なんだか納得いかない。そのまま人に会う予定があるもんなら、とんでもなく恥ずかしかったし、それ以降は朝コンタクトを付けてもお昼に人に会うときには外していた。自分ってば何をしているんだろうと思う一方で、これでいいんだぞと思う自分もいた。

もしかしたら私はメガネをかけているからこそ、自分のことを好きになれているのかもしれない。メガネをかけている私を好きになってほしいのかも知れない。もしもメガネがなかったら、自分に自信が持てないままだったのかもしれない。

もしもメガネがなかったら、私は他のものも自分も分からないままだったのかもしれない。