2020年新型コロナウイルスの流行で、一番堪えたことは旅行に行けなくなったことだ。憧れのニューヨークに行けるようになるまでの年月を考えると気が遠くなる。
先輩から聞いた言葉。「色を見分けられるのは、若いうちだけ」
ただよくよく考えてみると、私が好きなのは単に出かけることではない。旅行自体がないのが悲しいのではなく、その場所にしかない色彩を目に焼き付けられないことに、新鮮味がないのだと気が付いた。
会社の先輩が、20代の時、一人でツアーに参加し、アンコール・ワットに行った話をしてくれた。ツアーで親しくなったお年寄りに言われたという言葉が、私の心にも残っている。「私は老いてしまったから、あなたほどにこの緑を鮮やかに見ることができない。色を見分けられるのは、若いうちだけ」
若いうちにしかできないことがあると、よく言われる。それは全力で取り組むことだったり、チャレンジすることだったり、メンタル的なものが多かった。私は、自分の精神が老いていくことは想像できない。だけれど、身体は意志に反して、誰にでも老いが訪れるものだ。10代と比べると、走ることが億劫になった。20代でも身体は確実に変化している。私の目が、いつしか若い頃よりも色彩を捉えられなくなることも、容易に想像することができた。
新年の希望は、新しい色彩との出会い。色彩がなければ毎日を楽しく
色彩と共に、自分にしかない記憶を、自分だけの感性で、心に残していきたい。たとえ、長い間忘却してしまったとしても、記憶を思い出す取っ手になるような色を目に焼き付けたい。
大学時代、卒業旅行で訪れたバリ島の棚田で見渡した、まるで視界を殴りつけるような衝撃を持った、緑の濃さ。宮城県の洲崎湿地で水鳥が震わせた水面に映り込んだ太陽の燃えるような色彩の揺らぎ。景色が作り出す色彩は刻一刻と変わりゆくし、私たちが色彩を捉える視野も日々変わりゆく。新しい色彩と出会う希望を、2021年に込めたい。
とは言いつつも、世の中の状況が一転することは難しいだろう。旅行に行きやすい状況になったとしても、マスクをして、恐る恐る出かけることになると思う。旅行に行けないならば、毎日をさらに楽しく過ごしたい。お洒落をして、映画の主人公のような気持ちで過ごすことが、色彩のない世の中での第一歩だ。
駅で、無意識のうちに色彩を探す。あえて浮いた色彩を身に着けたい
私は社会人になるまで、カラフルな服装を好んでいた。ショッキングピンクのダウンコートや、星柄の散った青色のタイツや、星条旗柄のシャツが私のお気に入りだった。大学時代の格好をいつまでも高校生みたいだと言われたこともあるし、青色のタイツは「アバターみたい」とからかわれた。私にしかない色彩は個性だったし、私を幸せにしてくれていたのに、いつしか自分を居心地悪くさせるものに変わっていた。他人におしゃれだと認められないと、いつまでもあか抜けない子供のままだと思い込んでいた。
それでも、通勤で都会の駅を歩く時、私は無意識のうちに色彩を探している。男性はコートもスーツも真っ黒で、女性も黒かグレーしか着ていなくて、つまらない。そんな時に、思い出したように自分の着ている緑のダッフルコートを見つめる。私は、年を取っていくにつれて、世の中に慣れていくように疲れ果てていくのは絶対に嫌だった。人混みの中の、一部にはなりたくなった。
おしゃれと言う言葉は、大体“他人からどう見られるか”ということが主体で用いられる。でも、これからは、“私が自分に失望しないため”に、あえて暗いニュースばかりで塞ぎこんだ世の中から浮いた色彩を身に着けたい。新しい自分らしさの色彩を私は見つけた。マスタード色のトレンチコート、赤いストライプのシャツ、青い花柄のワンピース。2021年は、私が日常を彩ると意識して、日々服を選び、私の物語の主人公でいたいと思う。