「貧困女子」なんて言葉、遠い国の流行り言葉みたいに思ってた。
私は女で、確かに貧しいけれど、生活に困るほどの苦労はしたことがなかったし、これから先もすることはないと思い込んでいた。
まるでカラクリ屋敷みたいに、くるっと反対側を向く、日常と背中合わせの暗闇に気付かされたのはついこないだ。
引っ越してきたばかりの私の足元に急に現れた小さな落とし穴だった。
希望に溢れ夢の残骸が転がる東京。そんな街に夢中になり、引っ越した
私は「東京」という街に昔から憧れていた。
どこか寂しげな顔をしながら惹かれ合う男女がいて、一瞬の刹那を交わし合う。
希望に溢れていながら、その下には夢の残骸が転がっている。
どこまでもクレバーで、ふと見せる優しい顔にほだされて。
粋と人情、そして個人主義という相反するものが同居する、雑多で洗練された街。
そんなイメージに夢中になって、何度も東京へ遊びに出かけた。
東京へ引っ越そうと決意した時には、お金もなかったし友達もいなかったけれど、それでも夢があればなんとかなると思っていた。
だって東京はそういう街だもの。
まるで偉くなったみたいに、私は肩で風を切って悠々と引っ越してきた。
もちろん引っ越し費用は切り詰めた貯金をはたいたし、住み始めた家はぎりぎり東京と言えるような場所だった。
それでも私は幸せだったし、きっとここには出会いがあって夢があって毎日が色で満ちていると信じて疑わなかった。
コロナで仕事をクビになり、急に光が帯びた「パパ活女子」という言葉
そんな思い込みがあっけなく壊れたのが、コロナの流行だ。
仕事はクビになり、どこへ行っても断られ、見通しの甘さばかりが先に立った。
外出を自粛するように言われても、このままじゃ今月の家賃も払えない。
西日が差し込む夢の部屋で、頭を抱えるしかなかった。
「即日、バイト、手渡し」こんなワードで検索履歴が埋まっていったけれど、出てくるのは男性向けの仕事ばかり。
そんな中、目に留まったのは「パパ活女子」という言葉。
私が育った田舎町では、そんなことをしていたら噂ですぐに広まってしまう。
考えたこともなかった選択肢が急に光を帯びていた。
急いで無料のアプリを入れて、見様見真似で設定をする。
プロフィール写真はまだ大学生の頃の、一番笑顔の写真にした。
ご飯を食べるだけでお金がもらえるなら、どれだけいいことだろう!
藁にもすがるような気持ちでアプリを開くと、そこではたくさんの男性が待っていた。
年齢層も様々ながら、一様に「長期的な関係を望みます」と書いていた。
定期収入ってこのことか!なんて喜びも束の間、メッセージがピロンと鳴った。
恐る恐る開いてみると「大人の関係希望です。ホ別いくらですか?」
やっぱり、なんて思った時には遅かった。
何件ものメッセージが私の体を欲していた。
この街では日常茶飯事、泣きはしない。今日も私は大丈夫なフリをする
私は泣きはしなかった。
だってそれが大人だから。
こんなこと、この街では日常茶飯事なんだから。
それでも、初めて実家に帰りたいと思った。
自分がいかに守られてきたのか、自分でお金を稼ぐということはどういうことなのか、現実を突きつけられた私の手のひらには、悔しくて握りしめた爪の跡がくっきりと残っていた。
この話は売春を奨励するものでもなければ、貶めるものでもない。東京という街が嫌いになった訳でもないし、前より好きになった訳でもない。ただ事実を羅列した上で、私は知ったのだ。簡単に売り買いができる世界がここにはあるということを。
それを知らなかった私は結局のところ「お嬢さん」にしか過ぎないのだろう。
でもきっと、こんな風に少しずつ自分で経験していくことが「大人になる」ということだと思っている。
傷も痛みも、現実の厳しさも尊さも、全部抱えて歩いていく。
結局アプリは消してしまった。
何でもないような顔して、全部大丈夫なフリして今日も私は「東京」を駆けずり回っている。
まるで一人でいることが当たり前みたいに、大人の顔して肩で風を切る。
まだ私は東京に足を踏み入れたばかりだから。