昨今、「小顔」というステータスの人気がハンパない。
そう思うのは、私だけでしょうか。

顔が大きい人は論外、オシャレのスタートラインに立てない的な風潮

スタイルの良いアイドルの名前を検索すると、「(アイドル)ちゃん、顔ちっちゃすぎて公開処刑w」とかいうタイトルで、そのアイドルが他の芸能人と写っている写真をひたすら載せるサイトばかり出てきたり。

政府から支給されたマスクを着けた芸能人の写真がSNSに上がると、それに対して「マスク姿でも可愛いです!」「コロナ早く収まってほしいですね(>_<)」などの声よりも圧倒的に多いのが、「顔ちっちゃ!!」「小顔すぎます!」、もしくは「小顔マウントうざい」なんていう、顔の大きさに着目したコメントだったり。

私が小学生だった15年くらい前は、こんなに顔の大きさの話をしている人たちはいなかったような気もする。なのに、今となっては、顔が大きい人はもう論外、オシャレのスタートラインにも立てないですよ、みたいな風潮、ないですか?

自己紹介をすると、私は平均よりも低い身長に立派な短足、地球みたいにまんまるの大顔で25年間生きてきました。
高校生くらいになって「私の顔は人よりちょっと大きいのかもしれないな」と気づいたときから、写真を撮られる時はついつい後ろにのけぞってしまうようになったし、できるだけ髪の毛で顔を隠したいという思いでこけしみたいな髪型にしていた。
プライベートの時はもちろん、制服の時もできるだけ高いヒールのついたローファーを履くようにして、ちょっとでも全体のバランスがよく見えるように、顔が大きいことが皆にばれませんように、と怯えて生きてきた。

行きつく先は「だって皆が、小顔がいいって言うから…」という答え

でも、少し前に気づいてしまった。
大顔がダメで小顔が良い理由、明確に言える人っていないんじゃないだろうか。

「小顔の方がスタイルがよく見える」から?なるほどね~。じゃあスタイルがよく見えると何がいいんだろう?「服をかっこよく着こなせる」から?
スタイルがいいとか、服をかっこよく着こなせているとかっていうのは誰が判断するんですか?
その判断基準って明文化されていますか?
世界共通の定義ってあるんですか?

行きつく先には「だって皆が、小顔がいいって言うから…」という答えがあるんじゃないだろうか。
そしてその、「大多数にとっての美はこれ!」という基準をぼんやりと決めているのは何なのかと言えばきっとそれは、時代なのである。

大人たちの事情で、いつの間にか自分の感性・意見だと思いこんでいる

よく言われる話で、平安時代には下膨れの女性がモテた、低身長の女性が美人とされた、らしい。
それが嘘なのか本当なのかはわからないけれど、確かに自分の中に入り込んでいる「時代の目」をいったん追い出して考えてみると、いやいや、頭身ってなんだよ(笑)とは思う。いったい、体が頭何個分かを測ってどうするんだい?と。

10頭身だと生きるのに便利かというとそういうわけではない。顔が小さいと、脳を撃たれそうなときには命中率が下がって命拾いしそうだけど、顔が大きいと遠くからもその人の顔を識別できるから災害時とか便利かもしれない。

結局生物的にこんな姿だと優れている、という基準はなくて、その時代の経済状況だったり企業のマーケティング戦略だったり、そういった大人たちの事情が「これが美ですよ」と勝手に打ち出して、私たちはそれをいつの間にか自分の感性・自分の意見だと思いこまされているだけなんだろう。

そう思うようにしてから、顔が大きいとか言われても「ま~た、君も時代に踊らされているね」と心の中でかわせるようにはなった。
もちろん傷つく自分もいるし、小顔の友達に会った時には自分の中の「時代の目」が、「ホラ、羨ましいね?」と言ってくる。
願わくは私が生きている間に、顔の大きさは美醜には関係ありません、な時代になっていたらいいけどなあ、なんてことも思いつつ、ではあるけれど、最近は自分の大きくて丸い顔をどちらかといえば愛でて、生きている。