甘えから、逃したチャンス

私がその言葉と出会ったのは高校1年生の時だ。
高校1年生の時、勉強よりも部活よりも習い事のクラシックバレエに一生懸命になっていた。3歳から始めたバレエは、私にとって唯一の生きがいだった。音楽に乗り、普段の自分と違う人物を表現できること、汗や涙を流しながら、痛みに耐えて美を追求すること、みんなで支え合い、1つの作品を作ることも大好きだった。

私が通っていたプロのバレリーナを育てるためのスクールでは、毎年夏に1年の集大成となる発表会が行われる。その発表会では実力別のクラスで演出される作品とプロのセットと衣装を借りて、上位のクラスだけで演出される舞台作品と2つあった。
スクール生なら誰もが憧れる舞台作品に高校1年生の時、初めて出演できたのだ。しかも、配役は大きな役で。私は、とても嬉しく、その配役にとても満足した。

しかし、練習を続けて3ヶ月、本番1ヶ月前の時、「あなたは実力が足りない。代役を付けるから来週のテストで舞台に立つ方を選ぶ」と先生に言われた。
急なことであったが、1度ものにした役を手放したくないという思いからいつも以上に一生懸命練習した。
一週間後のテストの日、私は成果を見せることなく、代役の子に役を取られた。その瞬間その大きな役を引き立てる脇役に変わったのだ。私は、とても悔しくて泣いた。
まず、急に代役を付けたり、成果を見てくれなかった先生を恨み、次に私の代わりに役に付いた子を憎んだ。しかし、思い返してみれば、役をとって代られる前の自分は焦りもなく、自分が目立てればそれでいいと生半可の気持ちで取り組んでいたことに気づいた。
自分がバレエを好きだった理由、初心を忘れ、自分のせいで逃したチャンスをきっかけに私は、心を入れ替えた。初心を忘れてはいけないこと、そして常に情熱を持って高みを目指すことを大切に日々の練習から力を入れた。

最後の舞台は脇役。でももう傷つかない

脇役で終わった舞台後、先生と話すきっかけがあった。私は、何を言われるのかとても怖かった。役を降ろした理由、何が悪かったのかを話されるお説教の時間だと思っていた。しかし、先生からお疲れ様の後に出た言葉は意外で、それが私を変える言葉となった。

「あなたは舞台上で誰よりも輝いて見えた。例え、それが脇役だったとしても見てくれる人はいる。評価してくれる人はいる。いい作品には欠かせない大きな役ということを忘れないように。」

この言葉は私にとって最も大切な言葉だ。人は肩書きといった表面ではなく、心のうちから湧いてくる情熱によって心が動かされることに気づいた。そして、自分を見つめ直すためにも役を降ろされてよかったと心から思った。

大学受験のため最後となる高校2年生の発表会、私の配役は脇役であった。しかし、私は、傷つかなかった。去年の教訓を生かし、どうしたら素敵な舞台を演出できるかとその役自身と向き合った。
その結果、本番1ヶ月前に空きが出た大役を私が任されるようになった。選んでもらった直後、先生から「去年のことを同情して選んだわけではない。あなたの役や舞台に対するひたむきさは練習から見ても誰よりも感じたからよ」と釘をさすかのように言われた。
しかし、私は、二度と自分でチャンスを逃すような甘えたことはしない。
私は、「わかっています」とだけ答え、練習に励み、最後の舞台を心からの笑顔と幸せのうれし涙で終えることが出来た。

私は、言葉とそれまでの軌跡を一生忘れない。サークル活動、アルバイト、今後の就職活動、社会人になってからも生きる自分を奮い立たせる、素敵な言葉と時間だ。