おとなしい自分を変えたくて始めたアルバイト
「おとなしい」この言葉に過剰に反応してしまう自分がいる。
私は大人数の場が苦手だ。みんながわいわい話している中に自分から入っていくなんて無理。会話に入ろうとおもっても、周りをうかがっているうちに入れない。そして疲れてしまっておとなしくなる。
大学2年生の夏、和気あいあいとした雰囲気のテイクアウトの飲食店で私はアルバイトを始めた。
大人数でにぎやかな場を極力避けてきた自分にはあり得ないアルバイト先に、母もはじめは戸惑ったようだった。自分の性格を明るくしたい!もっとコミュニケーション能力をあげたい!そう思ったから。変わろうと思っただけでも、自分をちょっとでもほめてあげたい。
お店では、みんなと仲良くなろうといつも笑顔を心掛けていたし、会話にもできるだけ参加した。早く仕事を覚えて役に立とうと、私は仕事内容の質問をたくさんしたし、できる仕事も必死で探したのだ。
そんなある時、片付けをしていた私に社員が声をかけた。
「おとなしいよね。いつもそんなに静かなの?」
「ここでも言われるのか……」頭に小さい時の記憶がフラッシュバックした。
おとなしいと言われることが恥ずかしかった
私がおとなしいという言葉に敏感な訳、それは小学校低学年のころ、仲が良かった友達のお母さんの影響だと私は思っている。
他の友達も交えて、何家族かでご飯を食べに行った時、みんなの前で「○○ちゃんはおとなしいね~」と言われた。なぜだかわからないけれど、なんか、とても恥ずかしく感じたのだ。
「もっとおしゃべりしな?」「もっと元気出して!」「もっと食べな?」
彼女は体育会系であったから、私は物静かで元気のない子というレッテルが貼られていたのかもしれない。会うたびに言われ続けた私は、やっぱりなんだかわからないけれど、とても恥ずかしくて、「おとなしい」はきっと悪い意味だなと思い込んだ。
「こんなに言われるんだから、きっと周りを良くない雰囲気にしているのかな」子どもながらにそう感じていた。
「おとなしい」に取り憑かれたまま中学にあがり、自分はおとなしい良くない子だから……
なんでも「おとなしい」に逃げた気がする。
しかしこころの中では思う。おとなしくて何が悪いの?って。
私は周りをよく観察していると思うし、相手の気持ちにもよく気づく方だと思っている。私に深刻な悩み事を相談してくれる友達が多いのだ。部活でだって、自信を無くしたメンバーに寄り添い、説得を続けたことから退部を踏みとどまってくれたメンバーもいる。
おとなしくたって、相手の気持ちを考えようとするいいところがちゃんとある。「おとなしい」も個性だから大丈夫。良いんだ。
そうポジティブに思うようにすることで自分は「おとなしい」の呪縛から解き放たれたとおもった。
でもそれは無理矢理思い込ませているだけ。大学生になって、大人数でにぎやかなお店をアルバイト先に選んだ私は、自分が変わりたいと思ったからではないか。そしてそのお店の中で、「明るくしなきゃ……会話に入らなきゃ……」とソワソワしている私は結局おとなしい自分に納得していないのだ。
私は人の反応をとても気にするようになっていた。暗い子だと思われてないだろうかとか、つまらないって思われていたらどうしようとか。不安になる。たぶん、人より周りを気にする。
「おとなしいよね」の言葉と、私は今日も格闘する
「気にしすぎなのよ」母に言われる。
そうかもしれない。気にしすぎ。
でも明るく会話に参加していないと自分の存在がないように思えてしまう。
そしてまた言われたあのセリフ。「おとなしいよね。いつもそんなに静かなの?」
よみがえる記憶。
私はまだ、「おとなしい」に取り憑かれているのだ。
悪いことだとは思っていない。「おとなしい」を気にしすぎる自分も変だと思う。
しかし私はおとなしい自分から抜け出したい。
私はいま、アルバイトを3か所掛け持ちしている。にぎやかなお寿司屋、たくさんスタッフが働くカフェ、そしてあの和気あいあいとしたテイクアウトのお店も続けている。
自分の苦手な場所で、私は今日も格闘している。