手紙を受け取るのはお好きですか。また贈るのはどうですか。
私はどちらも大好きです。誰かへ向けて書く時も、受け取った文章を読む時も、あなたと私だけの世界の中で、嬉しいですよね。
でも少しだけ不安な気持ちが混ざっていたり。一人机に向かって、心の中では贈る相手と共に、じっくり時間をかけてしたためる手紙には、顔を合わせて話をするのとは違った良さがありますよね。このドキドキした気持ちと一緒に、読んでいただけたらと思います。

感性を意識する瞬間を、絵に描いて取り込む

私は美しく心震えるものに出会った時、絵に描きたくなります。それは雑誌の一頁や映画のワンシーン、大切な友人、動物、建物、フォントなど様々。
使うのは4B~8Bの鉛筆。紙はスケッチブックかクロッキー帳で、たまにA4ケント紙。なぜ私は何でもかんでも描きたいのだろうか、きっと感動を与えてくれたそれを消化して取り込む為です。
心にグサッときたものを、脳にも覚えさせたい。理由を付けるとしたらそんな感じです。皆様は心が震えた時どんなやり方で消化しますか。

感性を意識する瞬間は、日常のささいなこと。
映画や舞台を観た帰り道。主人公がクールで素敵だとすたすた早歩き、ズシンと重たい内容だと腕を組み地面を見ながら、ミュージカル帰りはバレないようにくるっと回ります。
それから車で移動しながら街中のマンションを眺めるのが好きです。ベランダや階段のデザインを見たり、一部屋一部屋に誰かが住んでいて人生が詰まっているのを想像したり。
あとは定期的に床にべたっと座ってテーブルなしでご飯を食べます。ちょっとした背徳感を誘ってくるんです、床が。ただ行儀悪いだけのことですが、決して他人に見せられない姿だからこそ心が解放されて、気分はアウトローです。

愛犬の心音と体温を、神経を総動員して味わう幸せ

でもとびっきりは、心臓の音。
我が家には同じ犬種が2匹暮らしています。どちらも2歳。横向きに寝ている彼らの前脚の根元、わきの下と肋骨の間のちょっと毛が薄くなっている所に耳をぴったりつけて息を止める。あ、自分の息ですよ。すると呼吸音と心音に包み込まれるのです。
犬の心音は私たち人間の「トッ・トッ・トッ」という決まった間隔とは異なる場合があり、呼吸に合わせて心拍のリズムが変わります。更に我が家の2匹はそれぞれのリズムもバラバラ。

片方はトッ…トットットッ。

もう片方はトットッ…トットッ…トッ。

音と匂いと感触と温度。神経を総動員して味わう毎日のこの瞬間が私は世界一幸せ。
あなたたちは心臓の音にまで個性があるのね。私の耳から僅か数センチの所にあるその小さな心臓が、どうか永遠に止まらないでほしい。手のひらに伝わるその高い体温が、何百年も冷えないでほしい。明日もしかしたら壊れてしまうんじゃないか。煙のように消えてしまうんじゃないか。嫌だ。お願いだからずっと一緒にいてほしい。
私は世界一の幸せを感じながら、泣きたくなるほど絶望してしまうのです。

何度でも不安から這い上がることが人生を作っていく

幸せにはどうしても“付属品”がついてきませんか。
絵を描いたってどうせ模写しか出来ない。映画を観たって私は何者にもなれない。街を眺めれば眺めるほど人が羨ましくなる。誰も床でご飯なんて食べない。私は文章が好きだけれど、望み通りに書けないのが怖くて全然進まない。

なぜ手放しで自分の感性を享受出来ないのでしょう。喜びと悲しみはいつだってセットで押し寄せてきて、後味の悪い気持ちになってしまう。日常にはこんなに素敵な瞬間が溢れているのに、受け止めきれないのは私だけなのでしょうか。あなたも同じですか。

今日も私は絵を描いて、文字を書いて、犬の身体に顔をうずめています。やっぱりそれは幸せだから。大げさかもしれませんが、何度でも不安から這い上がることが人生を作っていくのかなと思います。悲しみがそこかしこに転がっているこの世界を生きるなら、そのぶん幸せを思いっきり噛みしめたい。同じように幸せと戦いながら生きる人がいると信じながら。

ちなみに1分以上心音を聴いていると噛まれます。