大学3年生のとき、定年退職した先生に代わって新しい先生がやってきた。私のゼミの先生である。人生におけるたくさんの経験がその体を作っているのだと思わされるほど口達者で、映画や経済や宗教など、分野は多岐にわたって造詣が深い。そしてSNSが大嫌いだ(と、よく口にする)。つまり頭の大変良い変わった人なのだ。先生の話すことはいつも興味深い。といっても難しい日本語を操るうえに早口であるので理解が追いつかない時もあるが、それでも楽しい先生だなと思って親しくしていた。どんなリアクションを取ろうかと半ばゲームのように授業を聞いていた。

先生からの赤文字を完全無視、私の未熟な行動

 そうこうしているうちに4年生になって、卒業論文を書かなければいけなくなった。4年間の学習の集大成だとはいうが、実質テーマがしっかり決定した頃には提出期限から一年を切っていた。私はそれでも上半期までは余裕の構えだった。最低20000字の記述も問題なくこなせると根拠のない自信を持っていた。しかし年末に差し掛かるにつれて、筆のノリが悪くなっていった。論文というのは今まで書いてきた文章の形態とはおよそ違っていたのだ。そのことに後になって気がついた私は追い詰められた。
 先生は、私が書き散らかしてなんとか提出した文章に厳しいコメントをつけた。「何が書いてあるのかわからない」「この文章は必要でないし、そもそも説明になっていない」「何が言いたいのかわからない」。私はその論文もどきの出来が信じられないくらいひどいことも提出前からわかっていた。しかしなかなか思うように文章を書き下ろせず、自暴自棄になってしまい、しょうもない状態でも提出しないよりはマシだろうと開き直ったのだった。
 先生からのコメントでがっくりと落ち込んだ私は、しかし指摘は直さなければならないと思っていやいや送られてきたコメントを片端から読んでいるうちに(批判コメントは大量だった)、何もかもが嫌になった。曲がりなりにも一日中パソコンと向かい合っていた日もあった。それが正しい努力だったかは定かではないが(多分違った)、とにかく必死に作業していたのには間違いない。なのにどうしてこんな辛辣な文章を送ってこれるのか。私は意地になり、自分が送った文章がいかに酷かったかを棚に上げて憤慨した。そしてコメントを無視してとにかく自分の意見だけを書き上げ、なんとか論文の形にしてメールで提出した。すると、先生からの返信はこなくなった。

 私はこの時、先生への誠意を完全に失っていた。言い訳をするなら、4回生になりリモートの授業が増えたことで先生との距離感がわからなくなっていたのも原因の一つだ。先生の問いかけに返事をしないのが普通、顔が見えないから何をしていてもわからない。先生に対する態度を省みることをしなくなっていた。先生は私に対して、きちんと論文を精査して厳しくとも細かくコメントをくれていたのに。私は人間関係の構築を軽々しく捉えてしまっていたことに気付かされた。

反省、謝罪、でもやっぱり直接会って謝りたい

 提出から一週間経っても連絡がこなかった私は、自分の愚かさと、意地になって自暴自棄になることの虚しさから泣いた。しかも提出期限が迫ってきていたため、焦りが襲ってきた。そこで母親に相談すると、さすが人生の大先輩は、しかしこのまま嘆いていても仕方ないから連絡しなさいという助言をくれた。私はすぐに(24時前にもかかわらず)メールを開き、前回内容のひどい論文を出して申し訳なかったこと、しかしどうにも行き詰まってしまったので、勝手で申し訳ないがご指摘を賜れれば嬉しい、と書いて、参考文献も脚注もしっかりと書き込んだ論文を貼り付けて送った。
 すると、すぐにメールは返ってきた。「翌日までにまたチェックする」との旨だけだったが、私はこのとき嬉しくも思ったが、同時により本当に申し訳ないことをしたと思った。先生はいつでも私に対して誠実でいてくれたのだ。たとえ文の向こう側で激怒していようと呆れ果てていようと構わなかった。
 私はこのことで自分の幼さがよくわかった。論文がうまくいかないことで意地になって、先生の評価が悪いことで開き直ってしまった。先生は大人同士の会話をしているつもりだったのに、私一人がまだ子供のまま喚いているような感覚だった。
 感染症が春までに収まらなければ、このまま卒業まで顔を合わせることは授業ではないかもしれないが、その機会をどうにか作ってでも面と向かって謝りたいと思う。そして感謝も忘れてはいけない。