「結婚、どう思う?」
このタイトルが私のTwitterのタイムラインに流れてきたとき、書きたいと思った。
先月、私は4年間付き合っていた人と結婚した。私たちは14歳離れている、所謂年の差婚というものだ。私自身、結婚願望はあったので、プロポーズは本当に嬉しかった。
でも、すぐ不安に思ったのが「結婚後の苗字」。
好きな人と苗字を組み合わせてワクワクする私 夫婦別姓を考えた
私の苗字は珍しい方で、地元の数軒以外は出会ったことがない。その数軒すらも、本家だったりで結局繋がっている人たちなんだけれども。
周りの友達はみんな私のことを苗字で呼ぶ。自分で書くのもなんだが、ニックネームのようにかわいい響きの苗字だ。初めて会う人はそれが本名だと知って、びっくりする人もいた。
だから私は自分の苗字が大好きで、大切なもので、自分の苗字でなくなることが、正直とても不安だった。
今まで好きな人ができると、その人の苗字と自分の名前を組み合わせては、ウキウキしたりワクワクしたりした。
現在の日本では夫婦別姓がまだない、ということが疑問だ。
偉い人たちは、同じ苗字にすることは「家族である証」「日本の伝統」だと言う。それを聞いたとき、苗字ひとつで家族か家族じゃないかを決められてしまうのか、と悲しくなった。
もし、自分の家族の苗字が自分と変わってしまったとき、そのときは私は家族ではなくなる、ということになってしまうのか。
愛しい人と同じ苗字になれるという幸せがあることも知っている。
ただ、それは強要ではなくて、誰がどんな幸せを選ぶか、選択の結果の1つにあればいいくらいじゃないかと思う。
私の苗字を名乗るパートナー 「セイ」がなくても家族は家族
私は入籍する前に、自分の苗字がどれだけ好きなのかということ、苗字を変えたくないということをパートナーに相談した。彼は悩むこともなく、「いいよ」と言った。今、彼は私の苗字を名乗っている。
苗字が異なることは全く関係ない。あちらの家族とこちらの家族、どちらとも「家族」として関わっていけるのではないだろうか。
結婚は、言葉で言うより文字に書くより、何倍も難しい。したくなければしなくていい、したければすればいい、それぐらいのものではないだろうか。
だからこそ、したいけどできない、したいけどしたくない、という人たちがいるのはおかしなことじゃないのかな、と思う。
結婚は「セイ」を注視しすぎな気がする。どちらかの姓にしなければならない。別の性でなければならない。生きていれば当然(人のさが)のようにしなければならない。
結婚後はきっと、もっとたくさんの壁にぶつかる。それを一緒に乗り越えたり、一緒にぶつかったり、一緒に立ち止まったり。そうして家族になっていくものだと思う。
婚姻届というあのペラペラな紙を出したところで、あなたたちはもう家族、とはならないし、なるべきものではないと私は思っている。
「結婚、どう思う?」
この回答に全員が頷ける回答はないだろう。今の私は「どうも思わない」と答えるかもしれない。