結婚とは、他人が家族になる為の契約だと思う、それが今のわたしの答え。
なんとも夢のない答えかもしれないけれど、残念ながら結婚願望が一つもない自身にとって結婚という文字は、契約としか読めない。

結婚とは、魔法少女になるよりも辛い契約になりそうで

それこそ高校生の頃まで続いたニコイチ、によく似ていると思う。わたしとあなたは、ニコイチだから移動教室も放課後も全て一緒。お互いが唯一無二の存在。お互いだけがお互いを理解し合える存在。ママには内緒の秘密ごとは、わたしたちの胸をドキドキさせてクラスメイトからの優越感を得られやすく学校生活を生き抜く中で、また今は、社会を生き抜く中で結婚というニコイチは、生きやすくなる為の一つの手段であり、自身の存在価値を証明する手段の一つ。

それから、家族という契約の中で自身の存在意味を証明し、何かあれば助け合うという菅総理流に言えば、共助。その契約。何かあっても助けてくれますよね?病める時も健やかなる時もお互いを愛します、という決まり文句と共にある契約。魔法少女になるよりも辛い契約になりそうとわたしは個人的に思ってしまう。

勿論、わたしは、社会的に見れば結婚適齢期をすこし「過ぎた」ところなので、自身の周りでは、第一次結婚幸せ絶頂期があり少ない預金からのご祝儀は、痛い出費だなと感じながらも晴れ晴れとした友人たちの顔を見ることは、わたしも嬉しい。嬉しいけれど、次は、あなただねと言われると、なぜ魔法少女よりも辛そうな契約をかわさなければいけないのだろう、と思いながらも笑って頷くことしかできないわたしは、いつも結婚には向いてないだろうなあ、と自己解決する。

これまで一緒に生活していたルームメイトたちは、わたしの家族だった

わたしは、今、プラハの小さな寮に二人一組の部屋に一人で住んでいる。前のルームメイトは、交換留学だったからちょうど2週間前に彼女の国へ帰ってしまった。
そして、プラハに来てからより強く思う。結婚という契約に意味はあるのか、と。
この小さな寮には、色々な国出身の友人がいて誕生日からクリスマス、お正月は、一緒に過ごすのが当たり前。私たちは、それを家族と呼んでいる。誰も血が繋がっていないし、誰も結婚なんてしていないけれど、私たちは、その関係を家族と呼ぶ。たまたま出会って意気投合しただけの友人だけど、私たちは、家族と呼ぶ。契約は、勿論ない。

帰ってしまった彼女の代わりにもしかすると、来月から新しいルームメイトが来るかもしれない。きっと、彼女もわたしの家族になる。なぜなら、これまで一緒に生活していたルームメイトたちは、わたしの家族だったし、わたしたちの家族だから。わたしたちの家族ごっこに契約はない。けれど、帰ってからも学校を卒業してからもお互いのことを家族と呼んでいる。誰かは国へ帰って、そして誰かは卒業して、また新しい子がやってくる、忙しい私たち家族は、とても流動的。けれど、家族はずっと家族。結婚という契約は、していないけれど、日本の離れて暮らしているわたしの血の繋がっている家族のように。

誰とでも結婚ができる世の中だったら、迷わず今の家族と契約する

もし誰とでも結婚ができる社会になれば、わたしは迷わず今の家族と契約する。家族契約をするために結婚する。魔法少女の契約よりも辛そうだし、病める時も健やかなる時も愛さないといけないけれど、今のわたしは、彼らを愛しているし、病める時も健やかなる時もお互いを助け合って今を生きている私たちならなんとかなりそうな気がする。きっと、わたしの友人たちもそのようなことを乗り越えてこの人となら何がなんでも契約したいという強い意志のもと結婚を決意したのか、と思うとすこし彼らの気持ちもわかる気がする。

ねえ、みんな、わたしも出会えたよ。わたしの家族契約を結びたい人たち。でも、人数が多過ぎて誰か一人との結婚は、選べないけれど。

そういえば、学生の頃からニコイチ制度が苦手だったわたしは、いつか多夫多妻制が導入されたら、きっと結婚する。大切な家族になりたい人は、一人に絞れないし、性的関係を持つ人だけがパートナーになれる訳ではないとわたしは思っているから。寧ろ性的関係がない方がうまくいくこともあるのではないかな、私たちの今の家族のように。