褒められるのが苦手だ。

「いえいえいえいえそんなそんな」
褒め言葉を爆速で突き返すか、
「でっしょぉ~?やっぱりぃ~?」
過度に茶化すかの二択。

かわいくにっこり『ありがとう。』これだけのことができない私

わかっている。
こんなときはお世辞だとかは考えずににこっと笑って一言、「ありがとう」と言えば良いのだ。次こそは素直にお礼を言おうと毎回思うのだがいざその場面になるとやはり、『調子に乗っていると不快に思われるのでは』という不安が勝ってしまう。

結局のところ私は『自分自身に価値がある』という驕りを他人に見られることが心底恥ずかしいのだ。それが例え驕りではなく正当なものだったとしても、『そのことを自覚している』素振りを見られたくない。

我ながら自分も相手もしんどい生き方だなあとため息をつきながら何気なく開いたSNSで、アンタッチャブル山崎さんの言葉が目にとまった。

「人見知りの皆さんは、『嫌われちゃう』って思ってるんでしょ?嫌われちゃうってことは、嫌われてないと思っているという傲慢さがあるんですよ」(一部要約)

画面をスクロールする指が止まった。

あの明るいテンションで、こんなにも逃げ場のない指摘をするのか。
その言葉を否定しようとすればするほど、真っ直ぐ、深く、突き刺さった。

一見嫌われていることを受け入れているようで、実は真逆の心理

どう振る舞おうと、誰かはそれを不快に思い、また誰かは良しとする。

それならば、好意を持たれていないことを前提に行動すれば過度に傷付くことはないだろう。私のおどおどとした振る舞いは、そんな自己防衛に基づいている。

それは一見嫌われていることを受け入れているようで、実は真逆の心理だ。

私には山崎さんのように、「どうせ嫌われているんだから底抜けに明るく振る舞っても大丈夫!」という強さがない。

人からの評価をシュレディンガーの箱に閉じ込め、そこに『嫌い』が含まれている可能性を心のどこかで否定し続ける。

しっかり受け取って、笑顔でちゃんと「ありがとう」を言おう

私は言葉を贈り物のように大切に扱う。
褒めるときは特に、相手の好きな色を思い出しながら一本一本花を選んでブーケをつくるように。

もし、相手も同じ気持ちで言葉を贈ってくれていたなら。
私はそれを見もせずに暗い箱に閉じ込めて、いくつ、萎れさせてしまったのだろう。

山崎さんの言葉と出会ったことで色々と吹っ切れて初めて、褒めてくれた人の気持ちに思いを馳せた。

やっぱりちょっとこわいけど、まだ慣れなくて背中がむずむずするけれど、
しっかり受け取って、笑顔でちゃんと「ありがとう」を言おう。

それで嫌な顔をされてしまったなら、どっちみち考え方や生き方がちょっと合わなかったのかもしれない。

大丈夫。私を嫌いな人が必ずいるように、私を好きな人だって、多分絶対いるから。

もし万が一いなかったら、仕方がないから自分がとことん愛してあげようかな。なんてね。