「人にはね、人生の中で、二回だけ自分が大きく変わる、大転機が来るよ。自分がとてつもなく変わる人生の転機がね」

私の尊敬する先輩は、昔そう言っていた。この話を聞いた時、もう、私の人生には1回、転機が来ていたのだ。そして、もう十分なくらい自分は変わって満足していたので、転機なんかそんなものもう、来ないと思いながら、先輩と話したのを覚えている。

「私1回来てます、引きこもりから脱出して外の世界を知った時が人生の転機でした」
「じゃあ、あと1回くるわね」
「いやあ、そうですか?来ますかね?」
「来るわよ」

その先輩はカッコよくて、なんでもできるスーパーマンのような人だった。いつも放つ言葉には重みがあったが、この言葉はよくわからなかった。

スーパーマンに見捨てられてしまった

そして、半年後、私は先輩に激怒された。私の話したひとことが、先輩の心を壊してしまったのだ。

「な、なんでそんなこともできないの!?人の気持ちを考えるのは大事なこと!常識とかそういうことじゃなくてさ!」

優しかった先輩は我慢の限界だよと、悲しい顔で怒っていた。

「もっと言葉の重みを考えて、もっと周りを見て、聞きなさい。このままじゃ誰にも相手にされなくなるよ」
「私はもう、あなたに何も言わないから。話聞いてないんだもん。大人になってから直らないんじゃ、一生直らないと思う」

私は悔しかった。そして、初めて自分を知ったのだ。こんなにも、私は周りが見えていないのだと。自分のひとことで、こんなにも傷つく人がいるなんて知らなかった。私にとっては、些細な一言だった。
私は引きこもりから脱出したが、外の世界での生き方を知らなかったので、まだ、人の気持ちを理解することが出来なかったのだ。話を聞いているつもりで、聞いてるだけで流れ、理解していなかった。子供のままの最低な人間だったのだ。
それでも、一生懸命声を掛けてくれた先輩だった。なのに気がつけなかった自分に悔しく、悲しく、矢が刺さった。

先輩がくれた言葉が、二度目の転機だった

「手が不自由だとしんどいですね、私だったら嫌です」

そう、先輩に軽い気持ちで放った言葉は重かった。重かったのだ。きっと、沢山、そんなつもりはなくても、ぐさぐさと言葉を刺してしまっていたかもしれない。自分はそれが、ひどい言葉なんて気がつくことも無いまま。今思うと、何故あんなことを言ってしまったのだろうと自分を責める。

先輩の言葉で、私の心に初めて矢が刺さり、誰かの気持ちを知ったのだ。誰かの悲しみで、私はやっと理解したのだ。そこまでしないと、気がつけなかったのだ。

だから、私は考えた。人と向き合うとはなんだろうと考えた。人の気持ちを知るってどういうことなのだろうかと。言葉とはなんだろうか。みんな、どんな気持ちで生きているのだろうか、考える努力をした。

今、やっと、先輩の気持ちがわかるようになったのは、先輩がくれた言葉が、二度目の転機だったからだ。

あの言葉がなければ、きっと今、結婚もしていないし、仕事もできていない。友達もいないだろう。そして、もう大きな転機が来ることはないかもしれない。