人は大なり小なり今まで出会ってきた全ての言葉に影響を受けて生きているから、どれか一言を選ぶことは難しい。でも、あえて自分の人生に影響を与えた言葉を一つ選ぶとしたら、それは陸上部の顧問の先生が言ってくれた一言だと思う。

部活内の巡り巡る、いじめのルーレットゲーム

中学生の時、私は陸上部の短距離選手だった。勉強そっちのけで、陸上に明け暮れる毎日。毎日過酷な練習に耐えた後、タイムが少しでも上がった時の達成感は学校の勉強とは比べ物にならないほどあった。今考えるとダッシュ100本、筋トレ2時間を毎日繰り返すトレーニングはやりすぎじゃないかと思うけど、当時の私には部員仲間がいたから辛くても頑張っていた。

1年が過ぎ中学2年生になると、少しずつ陸上部が変わっていった。きっかけはわからないのだが、いつの日か、とある女子部員を他の部員たちが避けるようになってしまった。
今まで和気あいあいとしていたランニングでは、一人その子だけ置いて他の部員たちが走り去っていく。二人一組になって行う筋トレではその子と組みたい部員はおらず、普段はトレーニングに参加しないマネージャーがペアになってあげていた。
私はその子が可哀そうに思えてきたが、かばうと他の部員からとばっちりを受ける気がして見て見ぬふりをした。それから数ヶ月、今度は違う子がいじめられていた。前いじめられていた子は今度はいじめる側になって、ハンムラビ法典の「目には目を」そのものだった。

さすがに自分でもいじめを止めるために何かしなきゃと思い、いじめられている子と一緒にいてあげた。が、また数カ月すると今度はまた違う子がいじめの標的になっていた。まるでルーレットで決めているかのように、6人いる同世代の女子部員が順番に選ばれていく。そんな悪魔のゲームが進んでいくうちに、私が純粋に陸上が楽しいと思っていた気持ちは薄れていった。

振り返れば、もし一人でトレーニングをしていたら、陸上をそこまで好きになれなかったかもしれない。仲間が自分よりいいタイムを取ると嫉妬することもあるが、一緒に励まし合える仲間でもあった。しかし時が経つにつれて、その嫉妬や妬みがいじめへと変わっていった。今考えると、すぐに顧問の先生に報告しておけばよかったのだが、当時の私は告げ口した後の仕返しが怖くて、いじめられている子をかばうことしかできなかった。

人の心に寄り添える人になりたいと思えた、あの一言

数か月後、今度は私がいじめられる番がやってきた。まさか自分がターゲットになるとは思ってもみなかった。「あれだけ助けてあげたじゃないか」と胸の中で何回も叫んでいた。

それからというもの、毎日陸上部に行くのが辛かった。
一週間ほどは我慢していたのだがついに耐えきれなくなり、やっと顧問の先生にいじめのことを打ち明けた。

先生は涙ながらに私の話を聞いてくれた。「気付かなくてごめんな。本当に辛い思いをさせてしまった。」と先生が何度も何度も謝っていて、最後に言ってくれた一言。

「俺がお前を全力で守るからな」

泣いていた私は、これを聞いてさらに涙がこぼれてきた。
この言葉をずっと待っていたんだと思う。
それから、先生はいじめていた部員に反省文を書かせたり、親を学校に呼んで緊急保護者会を開いてくれたりもしたが、私が陸上部に戻ることはなかった。

先生が私のことを全力で守ると言ってくれたあの日から、先生みたいに人の心に寄り添える人になりたいと思った。そうなるためには、陸上という一つのことに打ち込むんじゃなくて、もっとたくさんことに挑戦して経験を積んで、いろんな人の気持ちがわかるようになりたい、そう思った。

中学生の時、人の気持ちに寄り添えるかっこいい大人に出会っていなかったら、今の自分はもう少し違っていたかもしれない。あれから約10年が経った今、私は日本語教師として日本に憧れを抱いている海外の人に日本語、日本文化を教えている。
陸上の顧問の先生と比べるとまだまだ半人前だが、これからも生徒の気持ちに寄り添い続けるため、挑戦していきたい。