ある日、私は美容院に行き、カットとカラーをしてもらった。美容室からの帰り、私は思った。「私、お母さんにそっくりじゃん」

それは、私にとってうれしいほめ言葉だった。母の顔が好きだから

「お母さんに似てるね」
それは、私にとってほめ言葉だった。
私は、母の顔が好きだ。だから、母の顔に自分が似ていると感じるとき、周りから言ってもらえる時、うれしかった。私は、「大人っぽい」より「子どもっぽい」と言われる方が好きだ。母は、かわいらしい顔立ちで若々しさがある。周りの人が「昔から変わらない」と言う。私は、母の顔に似ることで若々しく、「子どもっぽく」見られると思っていた。
成長するにつれて、身長が母とほぼ同じになった。服の系統も似たものが好きなので、母の服を借りることが多くなった。自分が成長していって、どんどん母に似る、母のような雰囲気になれることがうれしかった。

最初に書いた美容院の話。私は「髪も伸びたし、髪色変えたいな~」という気持ちが芽生えて、美容室を予約した。その当時の髪色は暗めのラベンダー、といいながらも、ほぼ茶色に近い色だった。私は、「雰囲気を変えたい」という思いだけ持って向かったのだが、あんまり明るくすると髪が伸びたら目立つよな、頻繁に美容院行くのめんどくさいしお金かかるよな、と自分のあまり良くない性格が出て、結局、明るめの茶色に少し青が入って透明感がでる、みたいな色にすることになった。それでも美容師さんが「今と雰囲気、変わりますよ」と言ってくれていたので、楽しみという気持ちだった。

美容室を出て、ふと気が付いた。上から下までそっくりで「嫌だ」。

さて、カラーとカットが終わって「ちょっと雰囲気変わったかも」なんて思いながら、美容室を出て、ふと気が付いた。私の格好は、上から下まで母にそっくりだったのだ。母にそっくりな髪型、母にそっくりな髪色、母に借りた服、母とおそろいの靴。そして、顔も母と私はよく似ている。そのとき思った。「嫌だ」と。

思い返すと、私は「大人っぽく」見られることが多かった。中学生の時に妹の運動会で「すてきな奥さん」と言われたこと。家族で食事に行ったときに、両親が頼んだ生ビールを店員さんが母ではなく、未成年だった私の前に置こうとしたこと。運動会のときは「帽子で顔が隠れてたから」「お母さんの帽子だったし」、生ビールの時は「角度で店員さんからお母さんが見えてなかったんだよ」と言って笑い話にしていたけれど、やっぱりショックだった。たとえ母の帽子だったとしても、顔が隠れていたとしても、「奥さん」に見えてしまう私、たとえ母の顔が見えていなかったからだとしても、成人を超えているように見えてしまう私、受け入れたくなかった。

「顔は似てるけど、雰囲気が全然違うじゃん」と言われるようにしたい

「お母さんに似ている」それは、大好きな母の顔に似ている嬉しさを感じられる一方、私が「大人っぽく」見られているということではないのか。あの日、美容室の帰りにそう思ったとき、私は自分が今「大人っぽい」方で見られているのではないかと感じ、嫌になってしまった。帰宅して父に「お母さんとそっくりじゃん」と言われた時、「そうだよね~」と嬉しそうなふりをしながらも、内心は複雑だった。

また、髪色を変えようと思っている。今度は「お母さんと顔は似てるけど、雰囲気が全然違うじゃん」と言われるようにしたい。服の系統を変えることも検討している。私はあの日をきっかけに、「お母さんに似ている」から卒業しようとしている。