ひとつの言葉で人生を変える。
そんな事が可能なはずないと思っていた。
ただ、記憶をたどると確かにひとつ、生き方を変えられた言葉があった。

分かり合えないお互いの環境の違い

わたしは片田舎の高校に入学した。
少し他の子たちと違うのは、「普通科」ではなく「デザイン科」に入ったこと。
学校再編で、普通科・デザイン科が同じ高校に存在する少し変わった学校だった。

今まで中学校では、ひたすら国語や数学を学び、美術は息抜き程度の授業だった。
その「美術」を「デザイン」として、専門的に学びたい人。普通科からすれば、「テンションも違う、学力の劣るただのオタク」にしか見えなかったのかもしれない。
私たちデザイン科も普通科のひとたちを、「勉強しか能のない、生きる楽しみを知らないひと」と見下していた面もあった。

1年生の秋頃、机に向かってテキストを解く普通科クラスの隣の教室で、私たちデザイン科は作品創りのためにグループワークにコミットし、盛んに話し合いをしていた。
今考えても理不尽だが、「デザイン科の教室がうるさいので静かにするように!」と普通科の教師から叱られた。
私たちは唖然としてしまった。グループワークに話し合いは必然であり、授業に真面目に取り組む事で叱られるなんて考えてもみなかったからだ。
デザイン科の教師は反論してくれたが、普通科5クラスVSデザイン科1クラスではとても分が悪かった。

その頃から、お互いの科・担当教師を敵対視しはじめ、衝突が増えた。
決定的だったのは文化祭の準備。デザイン科が3学年みんなで作り上げた入場門に、通りかかった普通科の女子がボソリ。

「なんか、ウチらの文化祭って地味。」
「たぶん、デザイン科が張り切りすぎ」
「常識ないからわかんないのかな?」

その後はもはや乱闘に近かったかもしれない。
とにかく大人数が集まって、今まで溜めてきた鬱憤を晴らすように罵り合って、女子は泣き叫び男子は殴りかかりそうになり。

緊急の全校集会は、もはやお通夜状態だった。
校長の話は「みんな仲良く、手を取り合って」のふんわりしただるい話。誰も聞いていなかったに等しい。
その後マイクが、デザイン科の科長だった先生に渡った。

互いの尊重が大切。それに気付かされた言葉

「常識とは、何でしょう。」
皆、頭を上げた。
「普通科の皆にとって、常識とは守るべき空気感、ルールのことなのかな。デザイン科の皆にとって、常識とは?」
問いかけられた、私たち。
幼かった1年生の私たちは深く考えてしまった。

3年生の先輩がひとり、はっきり答えた。
「守るべき、でも、壊さないと進めない場合もあるものです。」
「そうだね。そこの価値観の違いを認識する事が、成長することだ。」
人によって、価値観は違うのは当たり前。
人間関係を構築する中で嫌というほど分かっていたことを、まざまざと感じさせられた。
何だか自分が恥ずかしくなった。デザイン科である誇り、共に持っていた「あなたたちとは違う」という驕りを突きつけられたような気がした。

「色々譲り合って、意見があれば述べて、そのために普通科とデザイン科という全く違う科が、ひとつの学校にあるんだと思うよ。」
「みんな、仲良くしようよ。」
みんな、仲良く。
重たい言葉が胸の大切な場所にストンと落ちた。

その後、イザコザが無くなったかと言えばそんなことは無いのだが。
相手にものを伝えるトーンを気をつけるようになったのは確かだ。
対生徒・対教師関係なく、自分の価値観も尊重しながら。そんなコミュニケーションを取れるようになった。

就職してもう10年になる。
「みんな、仲良くしようよ。」
落ちていった言葉が、今の生き方に確実に繋がっている。