死ぬわけじゃないと言い聞かせて、周りに強そうな自分を見せていた

「死ぬわけじゃないんだし、大丈夫」

それが私の心を強く保つ秘訣でした。
この社会は厳しくて、つらくて、穴があったら入りたいようなミスをすることも沢山ある。
私はそんな時にこの言葉を心の中で唱えていました。
死ぬことは、私たちが生きていく中で最も恐ろしいことだから、これ以上に嫌なことなんて無い。
だから何があっても大丈夫と自分言い聞かせるための言葉でした。

この言葉を人に言うと、誰もが私を「強い人」と感心していました。
かっこいい女性と思われることは、私にとっては嬉しいことでした。
でも、それはただのハッタリで、私にとってとにかく怖いことが<死>なのでした。
そして、生命がなくなることだけではなく、社会的に大失敗して立場がなくなることも私にとっては死ぬことと同じぐらいの恐ろしい<死>でした。

だから私は結局、大胆な挑戦は避けて無難に安全に、でも周りにはすごい人だと思われたいという絶妙なラインを狙って生きてきました。もちろんすごく疲れるし、中途半端な自分にもどかしさを感じることも沢山あります。

死んでいいの!?驚くべき先輩の言葉

そんな時、私は将来的に仕事で独立したいと考え始めていました。
やりたい気持ちはあるけれど自分に自信のない私は、独立が不安で仕方がありませんでした。そして職場の先輩にそのことを吐露した時、先輩は私に言いました。
 
「大丈夫。最悪失敗しても死ぬだけだから」

びっくりしました。死んでいいの!?「死ぬわけじゃないんだし、大丈夫」を超える言葉があるだなんて。
でも…そっか、死ぬだけか。どうせ人間死ぬもんな。死んだら存在も何も無くなるだけだもんな。と妙に納得した自分がいました。
私は自分のできないことを受け入れているつもりだったけど、結局最大の自分の恐怖を受け入れていなかったのです。
死ぬことが怖くなくなれば、もう何も怖くない。どんな失敗をしても大丈夫。初めて安心感を感じた言葉でした。

死を受け入れたことで、チャレンジできるようになったこと

それから私は自分の死を受け入れる心がけをしました。まだ20代なのに変だとは思いますが、明日死ぬとしたらどうかな。とか、こうやって失敗したら死ぬほど恥ずかしいけど、死んでも問題ないよね。とか、不思議な妄想です。
そして昔より私は少しだけ大胆になりました。思い切ってやってみることが増えました。そして仕事の独立もどうにか達成しています。何よりも副産物として、今後悔しない生き方をできるようになりました。
家族に感謝して、趣味を大事にして、ご飯を美味しく食べて、いつでも死んでいいような人生を歩んでいます。日々の幸せを感じられるようになったもの、全ては死を受け入れることから。

ちなみに当時の職場の先輩は私よりも先に様々なビジネスに挑戦して、今となってはその世界で私の手の届かないような有名人になってしまいました。やはり只者じゃなかった……なんて思いつつ、私はまだまだ自分の不安や自信の無さと向き合っています。
皆さんも、不安になったらわざと大袈裟に考えてみてください。

「大丈夫。最悪失敗しても死ぬだけだから」