「ダサい」って結構辛辣な言葉だ。
面と向かって言われたことなんて、これまでの人生でなかったかもしれない。

でも、わたしは彼女のその言葉に感謝している。
わたしを救ってくれたから。

ふと、全てのことから逃れたくなった

社会人2年目、激務で心も身体も限界だったわたしは、日常生活を送ることさえ危うくなっていた。
心療内科でもらった安定剤を飲んでも、効果は感じられず、パニック発作の頻度は増すばかり。一睡もできなくなり、朦朧とした意識で真っ直ぐ歩くことさえできなくなっていた。
電車に乗れなくなり、会社に行けない日が増えた。

そんなある日、駅での発作が落ち着いて、水を買おうと立ち寄ったスーパーでお酒が目に留まった。
そしてわたしは。
ごくごく自然に、薬とお酒を一緒に飲めば死ねるんじゃないかと思った。
死のうという強い気持ちがあったわけではない。
ただふと気が緩んで死にたくなったのだ。全てのことから逃れたくなった。

お酒コーナーの前に立つ。
全くお酒が飲めないわたしは、どれを買ったらいいのかわからない。
アルコール度数が高いのは怖かったから、結局4%の小さなワインを買った。

キャパオーバーだなんて認めたくなかった

昔から、恋愛も趣味も大して重要じゃなかった。
学生時代は勉強、社会人になってからは仕事が最も優先順位の高いもの。
わたしは仕事に生きるタイプだとずっと信じて疑わなかった。
だから、仕事で自分がダメになるなんて思ってもみなかったのだ。
キャパオーバーだなんて認めたくなかった。
「慣れてないだけ。そのうちできるようになる。」そうやって自分を誤魔化してきた。
だって、わたしから仕事をとったら何が残るというのか。ほかに何もないのに。
これからどんな風に生きていったらいいのかわからなかった。絶望的だった。

人と会うことさえしんどくなっていたが、事情を知っている親友とならと思い、会う約束をした。
いつも通りの穏やかな会話の中で、なんてことのないように、むしろ明るく響くように「こないださ、思い立ってお酒買ってみたの。薬と一緒に飲んであわよくば死ねたらいいなと思ってさ~。」と言った。

てっきり「そんなヤバいことやめなよ。」とか「悲しいからやめて。」とか言われるのかと思ったら、違った。今思い出しても、本当に彼女らしい発言だったと思う。

彼女はただ一言放ったのだ。
「あのさ、その死に方はダサいよ。」

グサっときた。
うわ、ほんとだ。ダサい。なんで気づかなかったんだろう。
そんなことにも気づけないくらい、わたしは判断力とか生きる気力とかそういう類いのものを失っていたのだろう。

親友の一言がわたしに刺さった

わたしはプライドが高い。だから、ダサい自分なんて許せない。
さすがわたしの親友。わたしをとてもよく理解している。
意図があっての発言かどうか真意は不明だけれど、この一言はわたしに刺さった。

その後も普通に会話は続いて、普段通りに仲良く話して、また会おうねという約束をして解散したのだが、正直、その一言が頭から離れず、その後何を話したのかはあんまり覚えていない。

ただ、すごく効いたのだ。その日のうちに、買ったワインは捨てた。
今でも症状は続いているし、死にたくなるような日もあるけれど、少なくともわたしは、そんなダサい死に方はしない、と誓った。

大丈夫、少し休んでやり直せばいい。死ななければ何度でもやり直せる。
今はそう思えている。それは彼女のおかげ。