「結婚しないのも人生の選択のひとつだと思うんです。」
こういうことが言える社会的に自立した女性が増えてきた。29歳、元幼稚園教諭の私は口が裂けてもそんなこと言えそうにない。

女の社会、職場のしきたり、溜まっていくストレス

わたしの働いていた幼稚園は、昭和初期から続く伝統ある園。
子どもを主体とした、いわゆる"のびのび保育"が増えつつある中で、昔ながらの"しつけ重視の保育"には根強いファンも多い。

昔ながらの保育は、働き方も昔ながら。
学芸会の衣装、プログラム、大道具など行事に関するものは当然、全て手作り。
それだけでなく毎日の生活で使う用品も手作りする。体操服入れ、帽子入れを作るために、ダンボール・牛乳パックに画用紙を貼る作業が延々と続く。
このご時世にそぐわぬ手作り至上主義は、日々の書類、行事計画に追われる先生たちのメンタルを削っていく。

そう、先生たちはストレスが溜まっている。

そこに保護者からのクレームが入ると、さらに作業は押していく。
先生も知らない間にできたかすり傷。
これを見逃すと、「どうして伝えてくれないんですか?」と電話が来ることがある。一部の保護者のために、怪我応対マニュアルはどんどん厳しくなっていく。ぁあ..

敵は外だけじゃない、中にもいる。
1学年4クラス、職員数30名、そのほとんどが20代独身女性。

先生だろうが、なんだろうが、若い女がこれだけ集まると人間関係は辛いものとなってくる。仕事能力と女性の魅力、それとキャラ。
微妙なバランスの中でカーストが決まる。女子特有の嫉妬も凄まじい。結婚の早さ、出世、子どもや保護者の人気、あらゆる面から嫉妬は襲いかかってくる。

「同棲なんてしてるからミスするんだよねー」
「主任の効率悪すぎない?」
「保護者と話す時間長いよね~」

こんな言葉は気にしすぎたほうが負けだ。

余談であるが、中高大女子校で育ったわたしにとって、この手のことは慣れっこである。
女性の中での自分のキャラクターは確立されているし、自虐ネタの取り方、登下校で仲良くなる方法においては完璧。
仮に女子の人間関係ドッチボールがあったら、ボールに当たらずにかなりいい線まで生き残る自信がある。

ちなみに職場と女子校とでひとつ違うのは、火曜日にラッキーデーがあること。
週に一回、若いイケメンの体操の先生が来る。
その日、先生たちは若干、ほんとに若干、乙女になる。機嫌のいいうちに、なんでも質問できるので、いわばボーナスタイムである!イケメンありがとう!!
そして、狭い園内において、体操の先生が朝、どのクラスに顔を出すかが、なんとなくのモテ基準だったりする。(慎ましやかな基準...)

ストレス発散の後は決まってあの言葉が出てくる

話が脱線してしまったが、そんな毎日を過ごしていると、先生たちのストレスはそれはもう甚大なもので、月2の同期飲み会は、個室必須の愚痴祭りと化す。

先輩の圧力、生意気な後輩、モンスターママ、理不尽な園長の要求..。
愚痴はとにかく止まらない。

そして、ひとしきり愚痴ったあと、しみじみ。心の底から出る言葉が、「早く結婚して辞めたい..」なのである。

この言葉は、みんなを「ねー」と言って静まり返らせる。さっきまで熱を持って話していた同僚も我に帰る。

目の前にしなしなのニラが浮かんだキムチ鍋の汁しかないことに気づき、むなしくなり、締めのラー麺を頼む。
「結婚しないのも人生の選択のひとつだと思うんです。」
つまりそれって、私たちにとってはずーっとこの園で削られていく道を選択するってことに聞こえる。

子どもは好きだけど、ずっと働き続けるのは体力もメンタルも限界。だから私たちはひとまず結婚に逃げたいんです。

逃げても祝われるのは寿退社だけだからね。