私は本来控えめな性格だが、学生時代は賑やかな子とつるむことも多かった。小心者のくせに、女子グループのなかで存在を認められたかった。確立したキャラは「顔はそこそこカワイイけど意外と毒舌」だった。周りの強い子に負けないように気が強い振りをして頑張っていたのだ。この「意外と毒舌」キャラは割とウケが良く、自分はそういう人なんだと思い込むようになった。

それで突き通してきたので、段々と「自分は何を言っても可愛いから許されるんだ」という感覚になった。そして、「私は可愛くなきゃ許されない」という考えが頭を支配するようになった。

私の勘違いエピソードを話そう。何の話だったか忘れたが、男友達に「お前はすごく可愛いってわけじゃないやんな」と言われ、その急な言葉に頭は混乱、心はぐさっと傷ついた。「え、そうなの?」って生きる権利を剥奪されたかのように不安になった。放課後に女友達に「ねえ聞いて、今日こんなこと言われたの」と報告するくらい。
自信がない私は、「可愛い」と言われることを心の拠り所にしていた。

「可愛いけど意外と毒舌」キャラを生かした営業職

大学でもますます男女の顔品評会が盛んで、風のうわさにへこんだり喜んだり。誰かの「※あくまでも個人の感想です」に振り回されていた。
大学卒業後、新卒で入ったメーカーでは営業を担当した。コーポレート部門だと転勤が頻繁にあるという消極的理由で営業を選んだ。

大学を卒業してもまだあのキャラは卒業できていなかった。年上にもずばずば言うので一部のおじさんからは面白がられて、よく飲みに連れていってもらったり目をかけてもらったりした。
私はカワイイから多少わがまま言っても許されるんだと、社会人になっても勘違いは止むどころかこじらせていた。私の遠慮ない態度に引き気味の人には無遠慮レベルを調整した。
一方、地位が高くて冗談を言えない方々には、キャラを抑え込むのに必死で、本当にびくびくしていた。10年以上続けてきたキャラは、もはやキャラではなく私の性格と化していた。

でも、ある時気づいた。可愛い子は毎年次々に供給される。可愛くて、まじめで、一生懸命な子。私もそんな子が大好きだ。私がこのまま押し通せるのはいつまでだろう。卒業した大学のイメージでできる女と思われている今はいいが、いずれボロが出てくる。新鮮な女性を売りにした商品価値はどんどん薄れていく。優しく、包容力があり、面倒見のよい30代女性を目指そうか。

キャラの後ろに隠された心のはじっこで泣いているもう一人の自分

そもそも、酒の席で男性相手に盛り上げるとか、よその部長にピンチのときに助けてもらうとか、それ以外で自分の仕事に価値を見いだせていなかった。
顧客からの止まぬクレーム、日本企業らしい面倒な社内調整。元々おとなしい私は営業職に向いていると思えなかった。就活生との面談ではどんなキャリアを歩みたいか、と逆質問されるが返事に窮してしまう。
そんなに優秀じゃない、もう鮮度も高くないの二拍子そろった古びた女は取り柄なしじゃないか。自分のためにも周りのためにも、向いていない営業を無理して続けるべきではないと考えて退職を決めた。

いまは、他の勉強のために退職してしばらく経つが、前職の関係者からはたまに励ましの連絡や近況報告をもらう。今となっては、私がどうであっても周囲の態度はさほど変わらなかっただろうと感じる。
長い間、こうあるべきとか、こうでなくては周りから受け入れられないとか縛られていたのは私だった。誰にも強制されたわけではなかったが、うまく生きるための工夫は私を長く苦しめることになった。
もしあなたが自分とは違うキャラで生きているなら、心のはじっこで泣いているもう一人に気づいてあげてほしいと思う。