「終わった」と思った。
現在通っている大学に進学を決めた理由が無くなった瞬間だった。
「メディアを学びたい」
明確な理由と、将来への希望をもって入学した。はずだった。
大学三年に進級する間際、残りの二年間を主に費やす、「ゼミ」を選ばなければならなかった。入学理由にもあったように、私は当然、メディアを専門で学ぶことが出来るゼミを選んだ。応募者多数の為、選考を突破しなければならず、作文を書いた。
作文には、自分の持つ経験の中で、精一杯の想いを綴った。作文には自信があり、当然通るものだと思って疑わなかった。落選の場合は、個人に追って連絡するという通知があった。落選の連絡が来る日は、終始落ち着かず、携帯を握りしめていた。

落選連絡の時間が過ぎても連絡がこない。「よし、通った!」安堵した。直ぐに父に連絡し、希望のゼミに行けることを報告。した直後だった
メールが来た。結果は落選だった。
目の前が真っ暗になった。授業中であるにもかかわらず、涙があふれた。そこで初めて、意外とショックだったんだ、と自分自身の想いに気が付いた。

いつもは自分の想いに気付かない振りをするけれど、止められなかった

私は、自分の想いに気付かない振りをしてしまう癖がある。本当は負けず嫌い。だけど、負けず嫌いで周りが見えなくなる姿は恥ずかしいと思い、客観的に物事を見つめる、、振りをしている。心の中では、悔しくてリベンジしたい気持ちでいっぱいでも、大人の振り(大人ってなんだろう(笑))。
幼いころから変わっていない自分自身に幻滅しないように。何でも受け止めてあげるかのような広い心を持っている、振り。

でもこの瞬間だけは、止められなかった。
夢が、描いていた未来が、一瞬のうちに崩れてしまったかのように思えた。
父に、「終わった。」と一言だけLINEを送り、携帯の電源を切った。

その夜、帰宅して父の顔を見ると、また涙があふれた。自分の感情に素直になっていた私には、止めることが出来なかった。
何もかもどうでもよくなって、投げやりになっていた私を見て、父が言った。

「どこに行っても自分のやりたいことは出来る。遠回りしてもいい、必ずその先に自分のやりたいことがあるから。いつでもサポートするから。」

父のこの言葉だけは、何故か私の心の中に、すっと入ってきた。
私の夢は、メディアに関する仕事に就くことだ。しかし、メディアを学ぶことが全てではない。そんなこと、今の自分になら分かることだ。それでも、あの時の私には、分かりやすく明確であった「学び」がひとつの指標になっていたから、気が付かなかった。
外から一歩引いて見るのも大切。広い視野を持って取り組むことに決めた。
仕方なく。

不本意で進んだ第3希望のゼミ。初めて知ることばかりで受けた衝撃

私は第3希望のゼミに進むことになった。
不本意ではあったが、今まで学んだことのない学問であったため、とても刺激の多い充実した時間だった。
ゼミでは、社会的マイノリティを中心に学んでいる。「LGBTQ」「ジェンダー問題」「移民」「技能実習生」これらの言葉は、ゼミに入って初めて知ったものだ。
日本社会には、埋もれていて、見過ごされている現実が多い事を知る。衝撃だった。何も知らずに、のうのうと生きてきた自分。行きたいゼミに入れずに絶望していた自分。全てが馬鹿馬鹿しく思えた。この時の自身の感情の変化は、いつまでも忘れられないだろう。

時は過ぎ、私は今、就活の真っただ中にいる。「メディアに関わる仕事に就きたい。」この思いは変わっていないが、確固たる目標と、そして意志を持てるようになった。

自分の進みたい道ではないかもしれない。遠回りかもしれない。それでも、広い視野を持って新しいことに挑戦してみるのも悪くない。
父からのあの言葉が無ければ、絶望のその先には行けなかったかもしれない。
何より、就活のESでよく問われる「挫折経験」は、空欄だったかもしれない。(笑)

「とにかく、何事も偏見を持たずに進んでみること」
自分に明確な、生きる上での指標が出来た。