周りはかわいいのに。私だけあてはまらない「かわいい子の指標」
「かわいい」の指標は、いつも他のだれかだった。
小学生の頃からそうだった。幼い頃から私の中には自分でつくりあげたかわいい女の子像があった。
私の中のかわいい女の子はピアノが弾ける子で、恋愛ドラマが好きで、体育祭や文化祭の学校行事には積極的に参加する子。さらに、年齢を重ねるとかわいい女の子は社交的な子という勝手なイメージが構築されていった。
クラス替えをしたその日から、出来ている男女グループを遠くから眺めて思っていた。「みんな、いつの間に仲良くなったの?」そんな女の子は決まってかわいくて、かわいいからみんなが集まってくるのだと思っていた。そんな私の「かわいい」の指標は今日まで大きく膨れ上がっていた。
振り返ってみると、そんなかわいいの指標に振り回されてきて、しんどいと思うことが多かった。周りの人と比べては自分に足りないところを探す、自然とそんなことをしていたから。
出会った女の子が持っているものを私は持っていない。だから私はかわいくない、みんなから好かれる人にはなれない。そんなことをずっと考えて生活していた。
私を大きく変えた、馴染めなかったクラスでのグループ課題
1年前、そんな私を変える出来事があった。
学校に授業でとある課題を出された時のこと。その授業はクラスに分かれて受けるものだった。
私はその時そのクラスに馴染めないでいた。そのクラスで出された課題は、クラスの中で自由にグループを作って、とある企画書を作成するというものだった。
私はクラスの中にできているどのグループにも入っていないから1人で課題をすることになるんだろうなと考えていた。そして、グループを作るためみんなが席を立ち始めた。
私も興味がないと思われるのが嫌で何となく席を立った。そして、2人の女の子の近くに行き、「課題大変そうだね」と言って声を掛け、さりげなく誰と組むのかを聞き出そうとした。
どうやらまだ決まっていなかったようで課題の話を3人でしばらく話していた時、ふとアイデアが浮かび「こんなのはどう?」と企画書の内容を提案してみた。すると、「すごくいい、私その内容でやりたい」と予想外の反応が返ってきた。そうして、長期休暇中だったので3人で連絡を取り合って課題を完成させた。発表すると、ダメ出しはあったが褒めてもらえた。
かわいい子をただうらやんでいた私が気づいた、本当の「かわいい」
そして、その時に気が付いた。
人を惹きつけるのにかわいいは必要ないということ。勇気を出して声を掛けたり努力をすれば認めてくれるかもしれないということ。
私は今までかわいい女の子の持っている宝物ばかりを探して、宝物を手にするまでの努力を見つけ出そうとはしなかった。
でもみんな今日も一生懸命に学んで、生活して、働いて、自分磨きをしている。それは「かわいい」人になるためではなく、なりたい自分になるためや夢を叶えるため、生きていくためなど人それぞれ。
一生懸命生きるその姿こそが「かわいい」のだということに気づいた。
だから、今、学校の勉強を真面目に頑張っている、メイクの練習を一生懸命する自分は「かわいい」と認めてこれからも生きていきたいと思う。