「順風満帆だね」
先日、久しぶりにあった友人にそう言われた。
そうか、わたしはそう見えているのか。と俯瞰して思った。
一年前なら、嬉しくてたまらなかったであろうこの言葉。今のわたしは過剰に反応しなくなった。
わたしは2020年で、自分を他人に評価させることを辞めたのだ。

望んでいたキャリアを手に入れたが、辞めて無職になった

2020年は劇的な年だった。コロナウイルスの流行により、普通の日常は、今まで通りの人生は、いつ終わってしまうかわからないと知った。
わたしは必死の思いで手に入れた外資系企業での仕事を辞め、初めての無職生活を送り、キャリアスクールに通い、自分自身を見つめ直した。
そして、わたしを導き、同時に苦しめていたのは、学生時代に抱えたコンプレックスだったと気づいた。

経済的な事情で第一志望の大学に行けなかったわたしは、せめてその大学を出ていたら得られていたであろうキャリアと、わたしから進路を奪った要因であるお金を手に入れようとしていた。復讐に近い気持ちだったと思う。
キャリアとお金、その2つがようやく手に入ったのは2社目の外資系企業。そこにはわたしが入りたくて入りたくて仕方のなかった大学を卒業した人たちがいた。
“あぁ、やっと追いついた”そう思ったのも束の間、その大学を卒業した彼らの聡明さに打ちのめされた。彼らのキャリアに追いついたって、その大学で学ぶ機会を失ったことに変わりはない。
17歳の時、わたしは本当にその大学で学びたいと思った。その先のキャリアを欲していたわけではなかった。
25歳になって、いくらキャリアに追いついたって、何にもなりはしないのだ。

あの大学、この会社になぜ行きたかったのか。コロナ禍をきっかけに考え直した

その大学に行っていたらどんな将来が待っていたのだろう。いまみたいに、コンプレックス解消のために生まれたキャリアではなかったのだろうな。本当に自分自身がやりたいことを見つけて打ち込んでいたのかな。お金はないかもしれない、世間が定義する華々しいキャリアではないかもしれない。でもこの虚無感は、きっと持ってなかったよね。
そう思いながら、いまあるものも捨てきれない。ここまでくるのにだって、それなりに大変だった。そんなじぶんの努力まで、否定したくないと思った。

大丈夫、ここまで来たから。わたしがその気になったら、いつだって何にだってなれる。
本当にそう思っていた。世の中が激変するまでは。

パンデミック禍、急速に変わっていく環境。毎日感染者や失業者のニュースが流れる。いつだって何にだってなれるどころか、今の仕事にしがみつくしかない。だってわたしがずっと信じてきた道、間違っていたと気づいても止まってしまったこの道は、戻ろうにも荊棘の道に変わってしまった。

それでもどこかで諦めきれない。そんな気持ちでずっと気になっていたキャリアスクールの門を叩いた。勉強とコーチング、イベントを通して、初めて自分自身について真剣に考えた。行きたくて仕方のなかった大学、なぜそこに行きたかったのだろう。その大学に行けなかった後、なぜ執着してしまったのだろう。復讐心で生まれたキャリアとはいえ大企業勤めでお金だってある、なのになぜ満足できないのだろう。

自分を愛したかったのに愛せていない。そんな自分に気付いた

考え抜いてわかったのは、わたしは自分自身を愛したかったということだった。
昔から得意なことなんてないダメなわたしを、心から行きたいと思う大学にすら行けない情けないわたしを、自分で愛せないから誰かに認めてもらいたい。ずっとそんな気持ちだった。
そして周りに認められ始めてようやく、自分で自分を愛せなきゃまるで意味がないと知った。

もう一つわかったことがある。信じて進んできた道は間違いだったかもしれない。でもその道中に手に入れたものが、今のわたしを作っている。引き返すことはできなくても、もう少し進んでみたら、この道が正解だったって思う日がくるかもしれない。そしてこの道を正解にできるのは、わたしだけなんだ。

数ヶ月の無職期間を経て、わたしは昨年末に再就職した。今までとは全く違う仕事だ。
キャリアチェンジをしたことから、端から見るとリセットして、再スタートを切ったかのように見えるだろう。でもそれは違う。
いままでのわたしが、悩み苦しみ、それでも自分を本当の意味で幸せにしたいと思ったことが、自分の道の景色を変えた。

2021年が始まる。わたしは他の誰でもなく、自分自身に認められるために生きていく。だから敢えてここで誓いを立てたい。
わたしは、わたしを愛し抜くと、誓います。