結婚とは、私にとってとても重要なことだ。
重要であるがゆえに、今結婚できていないということは重大な問題なのである。
母が26歳で私を生んでいたこともあり、26歳くらいには結婚したいなと思いつつ、あっという間に29歳になってしまった。
家族との喧嘩でも結婚とのワードが引用され、結婚する友人が増えた
28歳頃から、母や祖母から"結婚"のワードがよく出てきた。「結婚したらそんな遊んで暮らせない」とか、「まだ結婚しないのか」とか、喧嘩の時は、「そんなんだから結婚できないんだ」とか、マイナスな要素で引用されることが多い。私は結婚したい派であるのに、できていない人間なので、そのような結婚の使われ方は苦しい。
周りでも結婚をする友だちが増えた。結婚式も、年に7件ほどあり、ご祝儀だけで20万円以上消えた。
付き合って1年とちょっとの彼氏はいるが、結婚の"け"の字も見えない。結婚願望が強かったので、付き合うときに「子どもが3人ほしくて、30歳までには結婚したいので、結婚願望がないと付き合えません。」と前以て言った。しかし、そう言ったからと言ってトントン拍子に結婚に進むわけではないと知った。
この間、職場のメールボックスに、"寿退職される方にメッセージを書いてください"というメールが来ていた。私はそのメールに、めちゃくちゃダメージを受けた。同い年くらいの女性で、一緒に仕事したこともあった。いわば、似たような立場の人だったのだ。
その彼女が、寿退職をする。
寿退職する彼女に、暗く重い気持ちがよぎり祝いの言葉を送れなかった
寿退職とは、結婚を機に会社を辞めるという意味だ。仕事することが苦である私にとって、結婚&退職という2つの喜びを得た彼女に贈る言葉は無かった。
理性的で寛容なふりをする心の中の私は、「せっかくめでたいことなんだから、お祝いの一言でも書いてあげればいいじゃないの。自分も同じ境遇になるかもしれないんだから。祝福をして損することはないよ。」と囁きかける。
分かる。分かるのだ。そんなことは分かっているけど、できない。私にはできない。
そもそも、寿退職を知っただけで、体が重くなり、それまでできていた仕事が手につかなく、暗く重い気持ちになっているのに、どうやってお祝いの言葉を書けるのか。
キーボードで打った字であれ、怨念のようなどろどろとした気持ちは届いてしまうだろう。羨みと妬みと悲しみと絶望と寂しさにまみれた文字を、しあわせいっぱいの彼女に届ける必要はない。
とにかく大げさに書いたが、私から祝福の言葉は書かなかった。書く気分にならなかったからだ。いつか書く気分になったら書く。もしくは言おう。ただ、退職されるので、もう連絡を取ることもないと思うが。
自分が嫌になるほど人の幸せを喜べないのは結婚を重要視しているから
このように人の幸せを素直に喜べないこと自体も、私にとって負担である。そのような自分の心の醜さに嫌気がさし、自責の念に駆られる。
こうなってしまうのは、私が結婚を重要視しているからである。もっと軽視すれば、こんなに重大に受け止めないのではないだろうか。
私がなぜ結婚を重視するかというと、家族は大切だと思っているからだ。毎日顔を合わせたり、苦楽を一生共に過ごす。人生で初めて家族を選べる選択であるから、結婚相手はとてつもなく重要であるし、最適な相手であってほしいと願う。また、子どもが大好きなので、子供を作るための結婚という意味でも大切なことなのだ。
今書きながら、軽視する方法を考えてみたが、思い当たらない。相手は途中で変えられるとしても、やはり結婚という行為自体は、都度大切なことだ。不妊など何か理由があり子どもが生まれない可能性があったとしても、やはり結婚によりその相手と家族になるという結婚の重要さは変わらない。
結婚していないメリットを感じながら焦らず結婚へコマを進めたい
しかし、結婚を焦らない方法はありそうだ。結婚をしていないメリットとしては、束縛されずに自分の好きな生活ができる、実家の家族との時間が自由に持てるなどがある。結婚による悩みも今のところない。(結婚できないことによる悩みはあるが…。)
とりあえずは、健康な心を保つため、結婚をしていないメリットを全身いっぱいで感じ、結婚に向けてコマを進めていきたい。私の大好きなSex and the Cityで、"世の中のカップルは、外からはうまくいっているように見えるが、実はみんな問題があるのかもしれない"と言っていた。人を羨み妬むよりも、自分の生活にあるしあわせにフォーカスし、そのしあわせを2倍3倍に感じる方がしあわせであると信じ、生きていく。