「そうやって決めつけて否定するのやめた方がいいよ」
親友にそう言われたのは中学1年の時だった。
たしか、学校の帰り道の雑談だったと思う。好きな果物、嫌いな果物のことを話していて、彼女が「ぶどうは皮を剥かなくちゃいけないし、種もあるから面倒くさくて嫌い」というようなことを言った。それに対して私は、「美味しいのにそんな理由で嫌うなんてあり得ない」と返したような気がする。
28歳になった今となっては、好き嫌いは他人が口を出してどうにかなるものではないとわかるのだが、当時の私は、味以外の部分で食べ物を嫌うということが受け入れられなかった。
何かを嫌いになることはダメな、いけないことだと思っていた。
勉強ができて性格も良い(と思い込んでいる)自分に酔っていた
都内の厳しい中学受験を優秀な成績で勝ち抜いた優等生の私は、勉強ができて性格も良い(と思い込んでいる)自分に酔っていた。自分は全てのものに優しく親切にできると思っていたし、全てのものを好きになれる、いや、好きにならなくてはいけないと思っていた。そして他の人もそうあるべきだと思っていたので、「ぶどうが嫌い」と言った彼女に驚き、そして「ダメ」レッテルを貼った。そんな頭の固い優等生ちゃんだった私に、彼女は刺さる一言を放ったのだった。
「そうやって決めつけて否定するのやめた方がいいよ」
正直言うと、私には否定したという意識はなかった。もちろん、相手の気分を害するつもりもなかった。しかし彼女の立場に立って考えてみれば当然だ。自分の好き嫌いについてダメ出しをされて良い気がするわけがない。私のしたことは、ただの主義主張の押し付けである。
私は彼女のひとことで、同じものについても人によって捉え方は色々なのだ、一つ一つ受け入れていかなければ人間関係に波風が立つのだ、と学んだ。そして、私の心の中で[優等生の私]の後ろに隠れている[本音の私]の声に耳を傾けてみると、「ぶっちゃけ、ぶどうって美味しいけど皮があって種もあって食べづらくて面倒だよね」と言っていた。この一件で私は大人の階段をひとつ登ったのだった。
異なる意見にワンクッション挟んで受け入れるようになった
これ以来、自分と異なる意見に出会い、「えー、そんなのあり得ない!」と言いたいときも、まずはグッと堪えて、「まあそういう見方もあるよね~」的な発言をすることにより、ワンクッション挟んで受け入れるようにした。そうすると、「確かにそういう良いところもあるな」と思えるときもあれば、「いやいや、やっぱり好きにはなれないぞ!」と内心で突っ張るときもある。そういう風に思考をクセ付けていった結果なのだろうか、周囲の人々からは「冷静な人」、「落ち着いた人」として見られるようになっていったように思う。おそらくその評価は、私の人間関係構築に良い影響をもたらしている。多分、「ものごとを公平に見るので信用できる人」っぽく見えている(と信じたい)。
息子が将来何かを否定したら伝えたいこと
ここまで長々と書いたが、何か自分と異なる意見と出会ったときの私の思考回路をまとめると、①.まず脊髄反射で否定しない ②.とりあえず受け入れてみようとする ③.余裕があればその意見について詳しく聞く(その人はなぜそれを好きなのか?そのものの魅力は何か?)
①~③の行程を踏むと、自分が知らなかった世界が開けることもある。意外と人間、習慣や偏見によって①の部分で躓きがちだ。
私には生後3ヶ月の息子がいるが、彼が将来、「ぶどうは嫌い」と言ったらどう返すだろうか。まずはその理由を聞くだろう。そしてもし、「ぶどうは皮を剥かなくちゃいけないし、種もあるから面倒くさくて嫌い」と言われたら、少々お高いが皮ごと食べられて種もないシャインマスカットを食べさせてあげるのだ。ぶどうがぶどうであるというだけで嫌うことのないように。ぶどうの美味しさを認められる人になるように。