「あんな風に踊れるようにならないとね。」
この一言をきっかけに、私の心に火がついた。
その炎は、すごく嬉しく幸せなことも、今までで一番辛いことも照らし出した。
か。

人生でほとんど点火したことのない「競争心」に火が付いた

私は4歳からクラシックバレエを習っている。中学1年生のある日、母の勧めでコンクールクラスという厳しい練習のあるクラスに入ることにした。小学生高学年になってレッスンの頻度は多くなったものの、今までは週に3回。それに比べてコンクールクラスは週に5回の練習があり、夜の10時ごろまで練習がある日もあった。また私は筋力・体力共に足りていなかったので、週に一回のオプションとして基礎のレッスンにも通うことになり、休日の自主練習も含めると結果週7回(毎日)もバレエをしていた。文字通り「バレエ漬けの生活」だ。
バレエ中心の生活にするために私は、毎日学校に早く登校をして授業の予習をやり、休み時間で宿題を済ませた。帰りのHRが終わればすぐに稽古場に向い、誰よりも早くからレッスンの準備をした。今思うと当時の私はバレエも勉強も真面目に頑張っていて、こんなにもハードな生活をよくこなしていたなと感じる。中学生の自分を褒めてあげたい。

転機があったのは、この生活を始めて1年ほど経ったある日のことだった。バレエ教室の友達と、他の教室の発表会を見に行った。その中で、私より一つ年下の学年でコンクールで入賞するような上手な子が、当時自分が練習している課題曲と同じものを発表会の舞台で踊っていた。私の隣にいた友達が、この踊りを見ながら言った。

「〇〇(自分)ちゃんも、あんな風に踊れるようにならないとね。」

これを聞いた時、私は自分でもびっくりするぐらい悔しくてたまらなかった。

自分の踊りが、今目の前で踊っている年下の彼女に劣っていることは十分に承知していた。しかし、毎日真面目に練習を頑張っているのに、目の前で踊っている年下の少女の方が他人に評価されていることがどうしても許せなかった。

ひとりっ子で競うことを知らない私は、この言葉で人生でほとんど点火したことのない「競争心」に火が付いた。まさに私が変わったひとことだった。

心療内科でドクターストップ。バレエをしばらくお休みすることに

それからの私は、誰よりも自分にストイックになっていった。誰よりも長く練習し、何をしていてもバレエのことしか考えていなかった。「あの日で踊っていた彼女より上手くなりたい」その一心だった。

あの発表会から約1年後、私はストイックに練習を頑張りコンクールで入賞することができた。あの日の彼女は、一つ下の学年の部門だったので一緒の舞台で争うことはできなかったが、私は彼女とやっと同じ土俵に乗れたような気がした。さらに嬉しいことがあった。後の発表会で、バレエを初めてからの夢だった「グラン・パ・ド・ドウ(男性と踊る演目)」を踊ることを先生が認めてくれた。私は達成感に満ち溢れ、とても幸せだった。

しかし、この幸せは長くは続かなかった。私はこの一年間、自分にストイックになり過ぎた結果、拒食症になってしまった。バレエは体型も大切な要素で、結果拒食症になってしまう人は多い。私もその典型例で、炭水化物や油分を極度に恐れ、食事をすることが楽しみではなくなった。母親の作ってくれるお弁当でさえ、喉を通らなくなった。それでも毎日ハードな練習は続けていた。精神的にもキツくなり、病院に行った時には身長159cmで体重は35kgで医者に「入院しなければならない寸前だった」と言われた。私は心療内科でドクターストップを喰らい、バレエをしばらくお休みすることになった。

「バレエ漬けの生活」は自分にかけがえのない財産になった

それからは「食事」という名のトレーニングを母と頑張った。少しづつ食べられるようになり、体重を増やしていった。しかし飢餓状態だった体に普通の食事は刺激が強く、食後は気を失うように眠くなり、まともに学校で授業も受けられない。また自分の増えていく体重にも我慢できなかった。完全に身体的にも精神的にもバランスが崩れた。その後バレエの復帰を試みるも、以前のような幸せな自分には戻れなかった。大好きだったバレエも大嫌いになってしまった。今までで一番辛かった。

それから7年が経った今では体調も精神的にも回復して、元気な大学生活を送っている。また月日が経った今では、「バレエ漬けの生活」とその後の経験は自分にとってかけがえのない財産だと感じている。

あれ以降、自分にあれ程ストイックになったことはない。もう少し上手に生きられるようになった。
しかし、あの日かけられた言葉で初めて灯った「競争心」の炎は、自分の長所として今でも心の中で燃やし続けている。