少し前まで、20代も後半に差し掛かろうとするような年になったら、恋人と別れるなんてありえないと思っていた。だってもう「大人」でしょ。

「大人」は、落ち着いて話が出来る。
「大人」の恋人どうしは、落ち着いて話ができて、問題が起きたらその都度話しあって、解決していくものだ。

だんだんと、どこかたよりのない存在になっていった

恋人とは2年間お付き合いをした。始めて出会った日から、会話のテンポがあって、笑いが絶えず、自然でいられた。顔もタイプだった。

恋人に出会って、わたしは初めて、他人に甘えることを覚えた。これまでの恋愛で、どこか気を使ってしまったり、気取ってしまったりしていて、完全に相手に委ねることができていなかったことに気づかされた。
甘えることは気持ちがいい。

でも、わたしには、甘えられる側に対する想像力が足りていなかった。
わたしが委ねられるくらいの大きさの精神力と、余裕を持ち続けるのはそう簡単なことではなかっただろう。
はじめは自然にこのような二人の関係が出来上がったのかもしれない。

しかし、人が置かれる状況や、考え方は、1年もあれば随分と変わる。私も、恋人を変化させる要因になっていたかもしれない。
恋人は、だんだんと、委ねることのできない、どこかたよりのない存在になっていった。

知らず知らずのうちにストレスが溜まっていた

わたしは人の変化に気づきやすい方だ。3世帯の老若男女が共に住む、大家族で暮らした経験が生きているのだろう。
いち早く恋人の変化を察知して、何度もタイミングを見計らい、「話し合い」を仕掛けた。「話し合い」をすれば解決すると思って。

わたしの奮闘むなしく、恋人と「話し合い」をすることはできなかった。なんとなくぼやかされてしまったのだ。
今になって考えると、もしかしたら、恋人は、自らの内面を吐露するのが恥ずかしかったのかな、と思う。でも、パートナーとの話し合いに、内面の吐露は不可欠ではないか?どうなのか?

当時のわたしは、大分勇気を振り絞り、恋人に「話し合い」を仕掛け、それが大失敗し、相当へこんでいた。何度もチャレンジすることはできなかった。
もうこれは、自分が変化するしかないと、思い、考え、行動に移していったが、知らず知らずのうちにストレスが溜まっていたのだろう。蕁麻疹がでてしまった。当時はなんで蕁麻疹がでたのか、原因を住んでいたマンションのせいにしていたが、おそらく精神的なものが原因だったのだろう。

思い描いていた「大人」なんてものには永遠に到達しないのか

こんなもやもやを抱えたまま、コロナ禍に突入した。はじめの内は遠距離で、それが良いスパイスとなり、たまにデートをするようになり、たのしい状況になった。表面上はうまくいっていたように思えた。

しかしあのときのもやもやはしっかりと二人の間に存在感を発揮してきた。
距離が離れているからこそ、言葉で伝え合わないと分からないことが多いからこそ、「話し合い」ができないことが大きく影響したのだ。
恋人は、普通の会話ができないわけではない。
2年間でたくさんの話をしてきたし、お互いの考えの方も共有出来たと思う。

わたしが、自らの心の中を、(それもちょっと恥ずかしいようなパーソナルな部分も)説明しないと分からないと思ったら惜しげもなく話すのに対し、恋人は、それをさらけ出すことに対する抵抗感があったり、さらけ出し方がわからなかったりするのだと思う。
でもそれでは、パートナーであったわたしはどうしたらよかったのか。相手の心を察してくみとる?
そんなの疲れちゃうよ。

わたしはまだ子供だったのか、それとも私が思い描いていた「大人」なんてものには永遠に到達しないのか、それはどうも、まだ、わからないけど、とにかくわたしは恋人をふった。いまとても元気で健康だ。