私の母は不安定な人だった。ニコニコ笑っていたのに、次の瞬間には怒鳴られるなど日常茶飯事だった。気に入らないことがあると何を言っても不機嫌な顔で無視された。
そんな母を持つ私は幼い頃から母を怒らせない言葉は何か、今自分が何を求めているのかを探ってばかりいる「無邪気さ」とは無縁な子供だった。
そうして身についた習慣はいつしか私のコミュニケーションの基盤になった。周囲の人間に嫌われない言葉を探すことから私の会話は始まった。気づけば本音で話すことができなくなった。自分が本当は何がしたいのか何を求めているのかわからなくなった。
母が望んだ学校へ行き、母が選んだ服を着た。それが普通だと思っていた。
周囲の大人から優等生として扱われ、「しっかりしている」と褒められて、要領よく生きていると信じていた。毎日どこか息苦しかった。でもそういうものだと思っていた。

「別れましょう」と私から言えばいいんだろうか

「お前といると窮屈なんだよ」
大学時代から3年付き合っていた彼氏に急にそう言われたのは、お互い新入社員として頑張っていた矢先だった。私は混乱した。いつも通り彼氏が今何を言って欲しいのか頭をフル回転させて考えた。
「そういうところが嫌。本音で話せないの?」
彼氏はうんざりした目で私を見た。今目の前の人は何を言って欲しいんだろう。多分別れたいのだと思う。随分前からあまり連絡も取れなくなったし、会えない期間も徐々に長くなっていた。それでは「別れましょう」と私から言えばいいんだろうか。…母はどう思うだろう。母はこの彼氏を気に入っていた。高学歴で安定した職業に就いて家柄だって立派なこの彼氏を。
「私何か悪いことした? ダメなところがあったら直すから」
「そういうところだよ」
気まずい空気になって、その日はお互い無言のまま家に帰った。

母の不機嫌を察することができなかった自分を呪った

しばらくすると「別れよう」と連絡が入ってそれっきりだった。なんとなく予想していたけど、私は自分でもびっくりするくらいショックを受けて、実家の自室で泣きじゃくった。誰かに話を聞いてもらいたかった。私はリビングでテレビを見ていた母の後ろ姿に話しかけた。

「お母さん。私フラれちゃった」
母はゆっくりこちらを向いた。その瞬間理解した。母は不機嫌だった。忌々しそうに眉根を寄せて私を見ていた。
「あんたね。そんなことで一々話しかけないでよ。お母さんは疲れてるの。あんたみたいにお気楽じゃないの」
私は何も言えなかった。体中が嫌な汗で湿っていくのがわかった。
「大体あんたはいつもお母さんに頼りすぎなの。私に何を期待しているの? もう社会人なんだからいい加減お母さんを解放してよ。いつまでも実家にいられても困るの」
社会人になった時、一人暮らしを勧めてくれた父にヒステリックな罵声を浴びせて、私を出て行かせなかったのは母なのだ。抗議の声が出かかったが何を言っても無駄だと私は知っていた。ただ俯いて、母の不機嫌を察することができなかった自分を呪った。「お母さん。少しだけでも私の話を聞いて」そんな言葉は私のお腹の中で宙に浮いて消えてしまった。

今まで気付いてあげられなかった自分の本音を見失いたくなかった

そのまま自室に戻った。改めて自室を見渡した。母が好きな作家が並んだ本棚に、母が好きなダサい服ばかりが下がったクローゼット。カーテンも絨毯も母が好きな趣味の悪いピンク色で、下着だって母と一緒に買ったものだった。
「自分の好きなように生きたい」突然湧いてきた強い気持ちに自分自身混乱した。「本音で話せないの?」彼氏の言葉が頭の中で響いた。様々な気持ちが自分の中で爆ぜた。「自分のために生きること」なんて魅力的で厄介な言葉なんだろう。でも、このまま一生母の言いなりで生きていく人生なんて絶対に嫌だと思った。唐突に気づいた自分の気持ちを何度も確かめた。この気持ちを大事にしたかった。今まで気付いてあげられなかった自分の本音を見失いたくなかった。

しばらくして私は実家から出て一人暮らしを始めた。母はまた泣いて喚いて怒っていたけれど、今度こそ父が止めてくれた。
あの日突然思い出した自分の本音を、今でもすぐ見失いそうになる。自分の気持ちがわからなくなった時は立ち止まってゆっくり考える練習を繰り返して、少しずつ本音を思い出せるようになった。頭と口は直結して話せるのだということを知った。そして本音で話しても案外周りの人は自分を受け入れてくれることに驚いた。自分の話したいように話しても誰も私のことを拒絶したりしなかった。これから自分の人生を取り戻せる。少しずつだけど、きっと。私はそう信じている。