「なんか惜しいんだよな~!笑顔とか!」

大学1年生の時だったと思う。大勢いる飲み会で大して親しくもない男の先輩から放たれたその言葉は、乙女には少し残酷だった。言った本人はたぶん覚えていないだろう。言葉なんて、そんなものだ。

言われた瞬間、改めて飲み会の場を見渡すと、他の女の子がみんな可愛くキラキラして見えた。

先輩の何気ない一言は、私に一種の強迫観念と自信喪失を植え付けた

確かに当時の私は今より太っていた。右目と左目の二重幅が全然違っていた。八重歯が目立った。中高6年間を制服で過ごし化粧も禁止だったから、自分に似合う服も分からなければ化粧の仕方も分からなかった。美容院に頻繁に行くお金もないから髪は少し傷んでいた。ヘアアレンジはやり方が分からず、ただドライヤーで整えただけ。

“可愛くないのは私だけ。”
“女の子は可愛くなければいけない。”

先輩の何気ない一言は私に一種の強迫観念と自信喪失を植え付け、私を変えた。無理やり、変えさせられた。

可愛くなるための努力の裏には、強迫観念、義務感、強制力しか存在しない

ダイエットをして、4キロ痩せた。(男性諸君には重々理解してほしいが、女性にとっての4キロの割合はとても大きく、また私の場合は低身長なのでなおさらだ。)毎日二の腕、お腹、太もも、ふくらはぎの太さをメジャーで測った。右目の二重幅を左目に合わせるためにテープで広げた。60万かけて歯を1本治した。ファッション誌を読み漁り、流行りの服を研究した。毎日のように薬局やデパ地下に行っては化粧品をチェックし、暇さえあれば鏡に向かい化粧の勉強をした。毎月美容院に行き、カットやトリートメントをした。Instagramでヘアアレンジの動画を見ては練習を繰り返した。
バイト代は全部、可愛くなるための材料に充てた。

これだけ読めば、女の子が可愛くなるための努力、という年頃女子の微笑ましい光景に映るだろう。けれどその裏には「私は可愛くない」「可愛くなる努力をしなきゃ」「女の子は誰しも、可愛くなければいけない」……。そんな強迫観念、義務感、強制力しか存在しない。

どんなに頑張っても、過去に言われたあの言葉は消えない

当時の私はとにかく見た目に固執していた。可愛くなければ意味がなかった。女磨きをしない女子?そんなの女子じゃない。美容にお金をかけない女子?ありえない。可愛くない女子?そんなの絶対嫌だ!
安い化粧品を互いに披露し、これ良いんだよ!と語り合っている女子を見ては、そんな安物で満足できて良いですね、と内心軽蔑した。今日は髪巻いてみたの!と声高らかに言い周りに可愛いね!と褒められている女子を見ては、むしろなんでいつも髪を巻かないの?ダサい、と冷めた目で見ていた。どう考えても、私の方が毎日可愛くなるための努力をしていた。

それでもなぜだろうか。確かに努力しているのは私だけど、その子たちの方が、なんだかキラキラして楽しそうに見えた。

どんなに頑張っても、彼女たちには敵わない。どんなに頑張っても、その先が見えない。どんなに頑張っても、過去に言われたあの言葉は消えない。

私がやっと苦しいしがらみから抜け出せたのは、恋をしたから

「女」という生き物には、良くも悪くも一生の中で一度は自身の容姿を真正面から捉える瞬間がやってくる。それは「私、平均よりも可愛いかも…?」という気づきかもしれないし、私みたいに容姿のしがらみに苦しめられるきっかけとなるかもしれない。

私がやっと数年間の苦しいしがらみから抜け出せたのは、恋をしたからだ。過去のトラウマから植え付けられた「可愛くならなきゃ」という強迫観念は、気づけば、いつかこの人の彼女になるために「可愛くなりたい」という未来を見据えた真っ直ぐな乙女心に変化していた。未来のために努力する時間は、とてつもなく楽しかった。前を向いて努力する私は、きっとあの時キラキラ輝いて見えたあの子たちのようだった。

「私を変えたひとこと エッセイ募集」の文字を見て、思えばこんなこともあったと懐かしい想いで、この文章を書いている。過去のトラウマをこうやって語り懐かしむことができるくらいには、私も逞しくなった。

そして、当時「なんか惜しいんだよね~!笑顔とか!」なんて言ってきた失礼な先輩に言いたいことは、ただ一つ。
「今の私に、惚れるなよ!」