私にはたくさんのコンプレックスがある。顔、スタイル、声、性格…中身も外見も人に劣っていると思っている。その中でもとりわけ気にしているのが目だ。
私のまぶたは一重まぶただ。正確には一重まぶた「だった」と言うべきだろうか。今は左目だけ奥二重寄りの二重まぶたになっている。
二重になった理由は美容整形でもアイプチでもない。断言はできないが、恐らく加齢(と言ってもまだ20代だが)と毎晩まつ毛美容液を塗り込んでいたことが影響しているものだと思われる。
1年半ほど前のある日、突然左目だけ二重になった。しかし「一晩寝ればまた元に戻っているだろう」と思い、貴重な天然二重まぶたに独りほくそ笑みながら1日を過ごし床についた。
しかし、翌日も翌々日も1ヶ月後も左目はずっと二重まぶたのままだった。私は完全に二重まぶたを手に入れたのだ。憧れの二重まぶたを!
言葉のナイフから生まれたコンプレックス
二重まぶたになったことに意味を見出している背景には私の姉の存在がある。姉は私とはすべて正反対の人だ。ぱっちり二重に重力を感じさせないまつ毛、人並み以上のスタイル、頭脳明晰、生徒会副会長も務めたことのある人望の厚さ…
少々褒めすぎたが、とにかく私とは見た目も中身も全てが正反対なのだ。
そんな正反対な姉妹だが、特に両親は優劣をつけることなく私たちを育て、姉自身との関係性も良好だった。(今も良い関係性だと思っている。)
ただ、ごく稀に姉は悪意を持たずに言葉のナイフを投げてくることがあった。
それは私がまだ小学生の頃のことだ。ある時、姉はじーっと私の顔を覗き込んできた。理由を問うと「上と下のまつ毛が交差してるけど、しましまに見えないの?」と聞かれたのだ。しましま?バカなの?と思いつつ「見えるわけないじゃん!」と半ギレしながら言い返したものの、私の中で姉からの一言は深いささくれのように違和感を放つ存在となった。
確かに人よりも目が小さいことは自覚していたし、ぱっちり二重に憧れもしていた。ただ、姉からの一言を受けてからというものの、「客観的に見るとそんな風に見えるのか」と思わざるを得なくなった。
思い返すと友人からも「眠そう」等と言われることは多々あった。まったく眠くもないのに。その理由として目が小さいことがそうさせているのだと気付いた。その他にも、ふと目を向けた方向にいた人から「睨まれた」と言われることも度々あった。これも恐らく目が小さいがためにそう見られたに違いない。私はそう考えるようになった。
自分のふがいなさの理由を「一重まぶた」に求めていた
そんなコンプレックスを抱えつつも、友人関係に恵まれ、特別いじめられることはなく中学、高校、大学を卒業し社会人となった。働き始めてからは、周りも大人ばかりなため、表立って私の目についてとやかく言う人はいなかった。
しかし内向的で人見知りの激しい私は、自分から積極的にコミュニケーションを図ることに苦戦する日々が続いた。そんなときは「私が目を合わせようとすると相手に不快な思いをさせてしまうのではないか」「目を見て話すのが怖い」「目が大きければこんなに苦労しないはずなのに」等、何かと自分の不甲斐なさの理由を目に求めていたのだ。
もう言い訳はしない。できない理由はなくなったのだから。
そんな時にだ。左目は二重まぶたとなり、今までよりも目が大きく見えるようになったのだ。右目もこの調子で二重まぶたになってほしいところだが、今のところ一重のままなのは残念でならない。
しかし、自分の苦手とすることの理由であった一重まぶたの目は、今や半分無くなった。つまり、苦手なことができない理由も半分無くなったとも言えるのだ。
もう言い訳をせず、二重まぶたになった左目でしっかりと自分の本質と向き合っていくべき時が来たのだろう。二重まぶたを手に入れた私は、後ろ向きで臆病で、いつも誰かの視線を気にしていた今までの私とはひと味違う自分になれるはずだ。目の前にいる相手と恐れずに正面から向き合うこと、そして何より自分自身を心から信じられることーーこれからの新しい自分が目指すべき姿はこの2点に集約されると考える。
今まで目をそらしてきたことができるようになるには、きっとたくさん苦労もするし目指すべき自分の姿が見えなくなることもあるだろう。しかし今の私の左目は、そんな新しい自分を見つける目力を得たものだと確信している。