2019年の2月から4月の半ばまでの、およそ80日間。音楽大学の入試とドイツ語の習得のため、ドイツのフライブルクという町に短期留学していた。語学学校の紹介で、60代のおばあちゃんのところにホームステイさせてもらえることになった。それに安心して両親も送り出してくれたのだったが、これがなかなか大変な80日間だった。
入試とドイツ語習得のためホームステイ。ストレスと共に、ホストマザーに違和感を覚えた
ホームステイと言っても、実質はほとんど間借りだった。ご飯も別、掃除は交代制。私は午後は語学学校に行き、その他の時間は楽器の練習をしていたから、いわゆるホームステイのイメージとは全く違う毎日だった。彼女もホストとして私をもてなすわけでもなく、来て2日目の夜に23時を過ぎて帰ってきたので、少し驚いたのを覚えている。
私はこの滞在で、2月の末にドイツ、4月の半ばにスイスの二つの入試を控えていた。親元を離れるのはその時が初めてで不安も多かったけれど、憧れのヨーロッパに来て、何もかも新しい世界にワクワクしていた。
けれど、やはり慣れない家事や満足に話せないドイツ語、語学学校で与えられるたくさんの宿題に入試の準備とやることも多く、少しずつストレスも溜まってきていた。
私がホストマザーに違和感を覚え始めたのは、2月の受験の一週間くらい前からだった。受験が近づきどんどん緊張し始めている私に、彼女は「大切な一週間ね!しっかり練習して頑張ってね!」と毎日声をかけていた。にもかかわらず受験前日、「明日の午前中、掃除機をかけておいてくれる?」と言ってきたのだった。
「できないよ。」
「なぜ?」
「だって明日の午前中は、入試だもの。」
すると彼女は、「ああ、そうだったわね。」と笑い、「じゃあ午後にしたらいいから。」と言ってきたのだった。
3日間も言い合いの大喧嘩をしたせいか、ホストマザーは家を空けることが多かった
私は親でも時々持て余すほど神経質なのだが、受験のせいで神経質に磨きがかかっており、そして彼女の良く言えばおおらか、悪く言えば無神経な性格と、どんどん噛み合わなくなっていった。ただでさえストレスの多い生活なのに、急に知らされるパーティや、彼女の娘と孫が突然訪ねてきたりして、フラストレーションがどんどん溜まっていった。
4月の始めにはついに爆発し、朝から言い合いの大喧嘩をした。彼女も、私が毎日何時間も部屋で楽器の練習をして煩かったのだろう、その喧嘩は3日間ほど続いてしまった。そのせいか彼女は4月は家を空けることが多かった。私が日本に帰る日も、フランスに住む娘の家に数日間行くと言って、不在だった。鍵は向かいの部屋の住民に預けるように、と何回もメッセージが来た。そして80日間住んだ、少なからず愛着のある部屋を一人で掃除をし、なんとも寂しい気持ちで家を出たのだった。
もっと大人になれたら良かったのにな。彼女の歩み寄りに壁を作ってしまっていた私
フライブルクはとても美しい街だった。かつては星の形をした要塞都市で、ミュンスターという大きな大聖堂が美しく、旧市街地はそこかしこに木の蔦がアーチのように張られていた。私が滞在したのは冬だったから、その蔦は葉っぱも花も何も身につけておらず、「春になると綺麗なんだろうね。」とホストマザーと話したことがあった。
帰国してしばらくして、彼女から旧市街の蔦の写真が送られてきた。話していたのを覚えていて、送ってくれたのだろう。蔦はたくさんの葉っぱと花をつけて、とても素敵だった。
けれど私は、それに返事ができなかった。せっかく送ってくれたのに、返事をする気にならなかった。
今から考えると、申し訳なかったなと思う。喧嘩の後、彼女は頑張って歩み寄ろうとしてくれていたが、私は徹底的に壁を作ってしまっていた。もし私がストレスのない穏やかな精神状態だったら、彼女とうまくやっていけたかもしれない。あんな風に感情をコントロール出来ないで、喧嘩してしまった結末に、もっと大人になれたら良かったのになと今でも後悔している。