「男女の愛なんて存在しないのよ」
母は、いつもそう言っていた。

喧嘩をするわけでもなく、上部だけの他人行儀な両親の会話。端からは仲の良い夫婦に見えたかもしれないが、私は幼心にもそこに愛がないことを感じ取っていた。

母の言葉が「幸せな結婚」への憧れを邪魔した。でも、私知っているよ

中学生の頃、オーストラリアに1ヶ月ほどホームステイをした。ホストマザーは、学校の校長先生。カスタードクリームが大好きな、大らかな女性だった。一方、ホストファーザーは清掃の仕事をしながら、家事を完璧にこなす物静かな男性。

夕食は毎晩、全てファーザーの手作りだった。家族みんなでテーブルを囲み、見たことも無いほど大きい器に入ったチキンのクリーム煮を、これまた大きいスプーンで取り分けて食べる。“温かい食卓”という言葉を具現化したような空間だった。

胃もたれしそうなくらいチーズとバターがたっぷり入ったクリーム煮を、口いっぱいに頬張るマザー。すると、横にいたファーザーが、マザーの口の周りについたクリームをさっと拭い、彼女の頬に優しくキスをした。見つめあいながら、微笑む2人。愛だと思った。母は存在しないと言っていた男女の愛が、そこにはあった。

それからというもの、私は男女の愛に強い憧れを持つようになった。幸せな結婚がしたいと。しかし、そう思う度、母の「男女の愛なんて存在しない」という言葉が邪魔をする。

ある日、引き出しの奥に見覚えのない手帳を見つけた。何の気なくパラパラっと中を覗く。数十ページにわたって、母の走り書きの文字。「久しぶりにこんなに人を好きになった」目に飛び込んできた1文に衝撃を受ける。

これは母の日記、それも好きな男性について書いた日記だった。頭が混乱した。ダメとわかっていながら、母の踊るような字をさらに目で追う。母は、恋をしていた。それも、父ではない男性に。驚きと同時に、目の前が揺らいで気分が悪くなった。男女の愛はないって言ってたくせに。何を信じていいのか分からなくなった。

2人で話して分かった。母も愛を求めて生きた1人の女性だということ

ほどなくして、母から離婚をしたいと切り出された。その頃、父は単身赴任をしており、父と離れることはなんら問題ではなかった。それなのに、なぜか私の目からは涙がこぼれ続けた。悲しくないのに、涙で声が出なかった。母は、そんな私の姿を見て動揺していた。それからというもの、離婚の話は出なくなった。

それから7年の時が経ったある日、母が離婚をしたいと言った。あの頃と違って、涙は出なかった。「分かった」母にそう伝えた。

離婚が決まってから、母は自身の過去の恋愛について、私に話すようになった。学生時代、一目惚れした人の話や甘酸っぱい片思いの話。なんだ、普通の恋愛をしてきたんじゃないかと思った。

あの日記を見つけて以来、私は心のどこかで、母を軽蔑していた。あんな秘密の恋をしながら、私には男女の愛はないと言い続けた母のことが信じられなかった。

「あなたが生まれてすぐの頃ね、お父さんは浮気してたの」母は、父との話を始めた。いわゆる仕事人間の父。家庭を顧みず、仕事に明け暮れる父のことが、私は嫌いだった。でも、浮気なんて、想像もしていなかった。

「あの日、私は愛することをやめたのよ」と母が言った。複雑に絡み合った糸が解けるかのように、母の姿がはじめて真っ直ぐ見えた気がした。母も愛を求めて生きた1人の女性なのだ。愛がないと知りながら、幼い私のために犠牲になってくれていた。

自分を犠牲にして、私に「本物の愛」を教えてくれた母へ

「男女の愛なんて存在しない」この言葉は、母が自分に言い聞かせるための言葉だったのだ。母は自分を犠牲にして、私にたっぷりの愛を注いでくれた。本物の愛の意味を、教えてくれた。

25歳になった私は、一生愛し続けたいと思う男性に出会った。彼となら、オーストラリアで見たような幸せな家庭を築くことができると感じる。母に教わった本物の愛を、私は彼にたっぷり注ぎたい。

母は「もう再婚する気はない」と言う。そう聞いて、少し悲しくなった。「愛し合える人を見つけられたら、一緒になりなね」もう遅いかも知れないけれど、ありがとうとごめんねの気持ちを込めて、私がそう言うと、母は困った顔で微笑んだ。