小学4年生の時のこと。同じクラスのあの子とは休み時間だけでなく、放課後も合唱部の活動で一緒。休日、彼女が押すチャイムの音で目覚めることもあるほど、暇さえあれば会っていた。純粋で真っ直ぐで、クラスでいじめが横行していても、彼女だけは絶対に加担しない、そんな人だった。控えめな性格で誰の悪口も言わず、いつも穏やかに笑っている姿は、私の目には天使のように映った。
私は、そんな彼女にどうしようもなく惹かれていった。帰宅後は、受話器を握りしめ、長電話。会話では伝わらない思いは便せんへ。お互いのことは、「親友」だと言い合った。「親友」の私たちは、どれほど互いに好意を寄せているのか、競い合うように伝え合った。「クラスで一番」から、「学年で一番」へ、しまいには「宇宙で一番好き」になった。次第に、2人に秘密ができた。「今日は○○する?」と秘密の質問をして、「うん」と言われれば、人気の少ない通学路や、人目につかない裏山でキスやハグをした。くすぐったい気持ちがこみ上げて、なんだか恥ずかしくて、顔を見せ合って笑った。
汚いものを見るような侮蔑の眼差しは、今でも忘れられない
だが、その幸せはあっけなく終わった。私が一方的に終わらせた。
小学4年生の冬休みのある日、彼女に宛てたラブレターのような手紙が公の目に晒された。手紙を拾った合唱部の先輩が放った一言、私に向けられた汚いものを見るような侮蔑の眼差しは、今でも忘れられない。アルトのパート練習の時、片手で手紙をひらひらはためかせながら、他の部員に聞こえるように先輩は言った。「2人を見てると気持ち悪くなる。あなたたち、どういう関係なの?」
言葉が喉につまって、呼吸が苦しくなったように感じた。誰も何も言わず、音楽室に沈黙だけが響いた。顔を上げると周囲の冷たい視線が刺さり、世界から死刑宣告を受けているような気さえした。練習後、木枯らしがふく中、無我夢中で家まで一直線に走った。帰宅した私の心身は凍りついていた。すぐに、彼女と繋がりのある全てのものを自室からかき集めた。手紙は一枚も残さず一心不乱にビリビリに引き裂いた。彼女と撮ったプリントシール(プリクラ)が所狭しと張られていたプリクラ帳は切り刻んだ。「気持ちの悪い2人」を象徴するものは、全て消し去ってしまいたかったからだ。
あの日以来、私はとりつかれたように、どうすれば「間違った関係」を終わらせられるのか、四六時中そのことばかり考えるようになった。そして私は、最も残酷な選択肢をとった。彼女からの連絡はすべて無視。視線を合わせることさえやめた。
「喧嘩をしたの?」
興味津々に聞いてくる部員らには、自らの無実を証明するように、こう言った。
「あの子のことは本当は嫌いだったの」
「これで良かった」と言い聞かせようとしたが、腹がたった
いつも笑っていた彼女が、あれ程悲しい顔をするなんて知らなかった。ふとした瞬間に彼女の視線を感じたが、年が明けても、私はかたくなな態度を変えなかったた。しばらくすると、彼女はまた笑顔を見せ始めた。合唱部でも、何事もなかったかのように、新しい友達と生き生きと練習に励んでいた。あの一件以降、部活で孤立状態に陥った私とは対照的に、純粋でまっすぐな彼女の周りにはいつも人がいた。宇宙で一番好きだった彼女との間には、宇宙で一番距離が空いた気がした。「これで良かった」と自分に言い聞かせようとしたが、自分にも、彼女にも、先輩にも腹がたった。腹がたって仕方なかった。特に、自分のことは大嫌いだと心底思った。あの日のことをどうしても思い出してしまうから、小学4年の時も、5年の時も、6年の時も繰り返し「部活をやめたい」と母親に言った。だが、返ってくる言葉はいつも同じだった。「一度やると決めたことはやり抜きなさい」。
彼女とは再び会話をすることなく、そのまま卒業した。念願の卒業式では、「もう部活で顔を合わせることがなくなる」とほっとするかと思ったが、「あの日以来失った多くのこと」ばかりが頭に浮かび、視界が霞んだ。後悔は日々募るばかりだった。中学2年の時、震える手で謝罪の手紙を初めて書いた。友達に渡してもらったが、返事はなかった。当然だと思った。全て私が悪い。私の顔など二度と見たくないに決まっている。あんなに残酷なことをした非情な私は、返事をもらうに値しない人間なのだから。
過ちを後悔し、公言し続けることで、私の罪が償われる気がする
大学進学を機に地元を離れる前に、自室でふと中学校の卒業アルバムを開いた。乱雑な字、丁寧な字、流行っていた丸文字、多様な筆跡が並んでいた。多くの寄せ書きの中で、一つの筆跡に目を奪われた。あの頃の穏やかな笑顔を連想させる、優しい筆跡があったのだ。「高校でもがんばって」。私の卒業アルバムは、誰でもコメントをかけるように、しばらく廊下に放置していた。まさか、彼女がメッセージを書いてくれていたなんて。取り返しのつかない過ちと彼女の深い優しさを前に、私は、声をあげて泣いた。。
この過ちを私は一生忘れない。思い上がりかもしれないが、過ちを後悔し、公言し続けることで、私の罪が償われる気がするからだ。同じような経験は誰にもしてほしくない。
当時の愚かな自分自身を猛省しながら、バイセクシャルとしての私自身を含む「性的マイノリティ」とされる大勢に、心からの愛の眼差しを向けながら、生きていきたい。