「正しさ」に拘らなくていい。

私が一番影響を受けた言葉は、大学のスペイン語学研修に参加した際に、現地のスペイン語の先生に言われた言葉である。

私は大学1年生の時に必修の第二外国語でスペイン語をとり、2年生の時には週に3コマスペイン語中級の授業をとっていた。しかし、いくら授業でスペイン語を勉強しても話す事への苦手意識は消えなかった。スペイン語を勉強すればするほどネイティブの発音と自分の発音の違いを認識してしまい、話したくなくなってしまうのだ。

そんな私が大学のスペイン語学研修に申し込んだのも、「話す」事への苦手意識を克服したいという思いがあったからだった。

語学研修は約2週間で、スペイン語ネイティブスピーカーの家庭にホームステイをさせてもらいながら毎日学校でスペイン語の授業を受けるのだが、ある日の授業中に突然スペイン語の先生から質問された。

「あなたたちは、スペイン人みたいなスペイン語をしゃべりたいの?」

正しいに拘るより、伝えようとする人の方がいい

スペイン人みたいなスペイン語?
質問の意図を分かりかねて黙っていると、先生が続けてこう言った。

「フランス出身の人はフランス語訛りのスペイン語を話すし、アメリカ出身の人はアメリカ英語訛りのスペイン語を話す。日本人も、日本語訛りのスペイン語を話す。」

「スペイン語を話す人がみんな同じイントネーションで話すよりも、みんなそれぞれ違うイントネーションで話した方が面白いよ。スペインのイントネーションに拘って話さない人よりも、どんな訛りのスペイン語でも伝えようとする人の方がいい。」

つまり、「正しい」スペイン語に拘らずに「伝える」方が重要ということである。
この言葉を聞いて私はとても衝撃を受け、同時に目の前が明るくなった気がした。

なぜなら私はそれまで何事にも正解があり、どれだけ完璧に正解に近づけるかということが周りからの評価になるのだと思い込んでいたからだ。

きっとそれは高校までの学校教育の影響が大きいのだと思う。
私が高校までに受けた教育では、すべてがテストの点数で評価される仕組みになっており、伝えることよりも正しいことに重点が置かれていたように思う。
例えば、英語の授業などでは、自分で書いた文章を提出すると細かい文法の間違いが訂正されて戻ってきて、内容についてのコメントは一切なかった。また、英語の発音もCDを真似して繰り返すといったものが多かった。
私はこのような授業を受けているうちに、世界には「正しい」英語が存在していて、少しでも違うと「ダメ」なんだと思い込むようになっていった。
もっと言えば、英語に限らず物事すべてに「正解」があり、間違えることは良くないことなのだと思うようになっていった。

スペイン語の先生が教えてくれた、正解のないものに向かう姿勢

高校までのような学習も、文法などを正しく知るという点ではとても重要だと思う。
しかし、私のように「正しさ」に拘って身動きが取れなくなってしまう人もいるのではないだろうか。

そもそも、言語というのは相手に自分の考えを伝えるための手段だ。
どんなイントネーションでも相手に伝わればその言語を話していることになるし、「正しい」言語はどこにも存在しない。そのことを改めて認識できるようになったのはスペイン語学研修の先生の言葉を聞いてからであった。

「正しさ」に拘らずに自分の言葉を伝えるということの大切さはすべての物事に共通することだと思う。人生にだって正解はないし、自分らしく生きることが一番大事だと思う。
このような大事なことに気づかせてくれたスペインの先生には感謝してもしきれない。

これからは「正しさ」に拘らずに、「相手に自分を伝える」ことを意識して生きていきたい。