社会というものが、あまり好きではないなあと感じます。しかし、その規則に縛られていないと私は生きていけないだろうということも分かっています。若干の生きづらさみたいなものもありますが、言葉に言い表すことはできません。

アルバイトを始めてから、その思いは強くなりました。アルバイトは大学受験塾でのアシスタントです。授業をもったりはしません。事務的な作業とか、テストの〇付けとか、講師の先生の簡単なサポートをしています。

演劇と新体操。共通点は「自分を多様な方法で表現することができる」

話が変わりますが、私は高校3年間、大学2年間演劇をやっていました。また、5歳から中学3年の春まで新体操を続けました。この二つ、共通点は「自分を多様な方法で表現することができる」ということです。

新体操を始めた理由はわかりません。10年間続けることができたのは、なかなかすごいことだと思っています。ずっと同じクラブにいた訳ではなく、才能があった訳でもなく、補欠になったこともあります。やめようとしたこともあります。しかし、キリのいいところまで完走できたのは、踊ることが好きとか、中学生以降は好きな曲で好きな手具で好きな振り付けで踊れるとか、綺麗なレオタード着れるとかだけでなく、みんな同じ振り付けで同じように踊っていても少しずつみんな違う表現をできるところ、曲の雰囲気を自分の解釈で表現できるところでした。

自分と違う人間になりきることが楽しいと感じていた

演劇に惹かれたのは、違うことをしてみたいと思っていて、演劇部のオリエンテーションが面白かったことと雰囲気も和気あいあいとしていたことが心地よかったからです。先輩方がとても好きで、友達と追っかけていました。今思えば端迷惑なことをしていたなあと反省しきりです。

私は役者をやることがほとんどでした。自分と違う人間、時には人間以外のものになりきることが楽しいと感じていたこと、照明に照らされて舞台の上で多くの人の目線を集めることができるということに、一種の快感を感じていたからです。

それは、新体操に通じるものがあります。大学でも続けたのは、その快感をもっと味わいたかったからです。大学生最後の引退公演はコロナでつぶれちゃいました。後輩たちはめげずに冬公演を配信してくれていたので、頑張ってほしいです。

自分の気持ちを偽るために演じなきゃいけないのが嫌だな

話をアルバイトに戻します。塾というのは究極のサービス業です。これは母親の言葉を借りました。大学受験という大きな人生のターニングポイントのために、新規の方の面談が入ることがよくあります。特にこれからの時期、本格的に増えるだろうと覚悟しているのです。 

さて、上司にあたる塾長に言われた一言です。
「えみーるさん、演じなきゃ。落ち着いた人を演じなきゃ。わかるでしょ」

うちの塾では、お茶orコーヒーとパウンドケーキをお客様にお出しします。ある時にいらっしゃった方の人数が事前に気いていたものよりも多かったことで、軽くパニックになった私に諭すために言われたものです。無事に出せたものの、焦っていることを出してはいけないという事です。

塾長が言ったことに間違いはありません。ただ、それまで演じることを楽しいと思っていたのに、自分の気持ちを偽るために演じなきゃいけないのが嫌だなと思いました。そして、それはこれからのキャリアのうえで何度も何度も必要になるのだろうと思って、少しだけうんざりしました。同時に、この一言は、社会人としての意識を持つきっかけになったのでした。