小学生の時、私はマジメな優等生であった。
テストはいつも満点で、先生の言うことをよく聞き、ちゃんと指示に従う。先生のルールは絶対だし、授業では積極的に発言をし、みんなの嫌がる掃除も隅々まで一生懸命に!
そんな児童であった。
宿題を家に忘れたことを素直に謝ると、先生はほほえみながら言った
ある日、小学六年生の私は生まれて初めて宿題を家に忘れた。自室の机の上に忘れた。
初めてのミスに少しだけ焦ったが、うだうだしていても仕方ない。先生に謝って明日の朝イチで提出しよう。もしくは今日の放課後、家に取りに帰った方がいいかもしれない。なんてことを考えていた。
みんなが宿題の算数ドリルを先生の元へ提出する中、私は素直に打ち明けた。
先生ごめんなさい、家に宿題忘れちゃいました、ちゃんと、ちゃんとやったんです!本当にごめんなさい、と。
先生は優しく微笑んで言った。
「先生、家でキリン飼ってるんだ。信じてくれる?」
そんなのありえない!キリンなんか家にいるわけないじゃん!とみんなは笑った。私も少し笑った。
キリンが飼える家なんて。屋根がないのか?庭が牧場みたいに広くて柵で囲われているのか?そもそもどうやって連れて帰ってきたんだろう。キリンの赤ちゃんは意外と小さいのだろうか?ドーブツアイゴホー?とかいうのに引っかからないのか?
「キリン飼ってることみんなが信じないように、先生もあなたが宿題やったってこと信じられない。」
教室は静かになった。水を打ったようにシンとした。
私はその時の自分の気持ちを思い出すことが出来ない。思い出したくないのかもしれない。ただ漠然と、自分が信じてもらえないことを悟った、それだけ覚えている。
そして私は誰かを信じたり、信じてもらえると期待するのをやめた
先生のその言葉で私は変わった。バカ真面目な行動をやめた。
掃除は手抜きを覚えて、授業は適当に聞き流した。塾に行っていたし。授業中はシャープペンシル使用禁止というルールを破り、当時流行っていた鉛筆風シャーペンを使い始めた(鉛筆しか使っちゃダメルールはどこの学校でもあったらしい。なぜダメなのか考えたこともなかったが)。そして誰かを過度に信じたり、信じてもらえると期待したりするのをやめた。もちろんその後、算数のドリルは提出しなかった。
私はこのエピソードをたまに誰かに話すことがある。ひとつの失敗で信頼を失っちゃうことあるよね、でもまた信頼関係は築けるよ!なんて前向きなことを言って、誰かを励ましたりする。
でも本当は、この話はそうではない。
先生はみんなに平等だった。マジメな優等生の私にも、絶対言うことを聞かないやんちゃなあの子にも、いつも誰かをいじめてるあの子にも、平等だった。
いい先生だった。信じてもらえるか否か、今までの自分の行動が関係しない場合もある。そもそも相手が誰も信じていない時がある。その事に私は小学生ながら気づいてしまったのだ。
先生。
もし今お会い出来たのなら、お伺いしたいことがあります。
キリン、お元気ですか?