「障がい者雇用」という選択肢で採用されることに抵抗があったけど
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大学3年生の冬、目の前で義手をスポンと取り外し、「障がいは可能性だよ」と笑ったひとがいた。
そのひとに出会ったのは、就職活動真っ盛り、私が将来のことを悩みながらただ右往左往していた頃だった。
私には持病がある。
身体に影響を及ぼすようなものではないけれど、毎日薬を飲まなければいけないし、時々入院したりする。
私はそんな自分が嫌いだった。
「いつまで薬を飲まなければならないのだろう?」
「私はずっとこの病気と付き合っていかなければならないのだろうか?」
果てしなく続く闘病生活に、何度も匙を投げそうになった。
けれど、生活はつづく。
ため息をつきながら薬を飲んで、朝になったらスーツを着て、会社の説明会や面接に挑み続けた。
一般的な就職活動をしていた私が、ある日大学のキャリアセンターから提案された選択肢がある。
それは「障がい者雇用」だった。
自分の持病や障がいを認めてもらった上で、仕事につくという選択。
それは私にとってひどく悩ましい問題だった。
精神的な病の私は、差別されることを恐れたし、人に病の内容を話すこと自体に抵抗があった。
それに給料も低いのではないだろうか、仕事も単純なものしかもらえないのではないだろうか。
疑問や不安が巡り巡った。
そんな私を見かねて、キャリアセンターの人が言った。
「インターンがあるから、そこで疑問を解消してみたら?」
私は二日間のインターンに臨むことにした。
インターン当日、緊張しながら会場へ向かうと、そこには健常者とは変わらない就活生が集まっていた。
もちろん目に見える障がいを持つ人もいたが、内部障がいなど見ただけでは分からないひとたちも多かった。
参加者はすぐに打ち解け、みんなで和気あいあいと話をする。
障がいをもっていることなどお互いに忘れて、趣味の話や郷土の話で盛り上がる。
会社の方が登場してからは、みんなで真剣に話を聞いた。
「障がいをもっているからと言って、仕事の量を減らすことはしない」
「出来ることと出来ないことを調整しながら、出来ることをやってもらいます」
「区別はしても差別はしません」
前向きな言葉が飛び出してきた説明会は、私にとってきらきらして見えた。
こんな世界があるんだ。
私が私として受け入れてもらえ、輝ける場所があるんだ。
それは希望に似たものだった。
説明会を終え、ディスカッションをしたりプロジェクトを考えたり、発表をしたりと忙しく過ごした一日目。
二日目には、障がい者雇用で働いている先輩社員の話が聞けると言う。
私の胸は高鳴った。
二日目、登場したのは美しい女性だった。
一見健常者に見えた彼女は、何の前触れもなく自分の腕をもぎとった。
それは誤解で、彼女の義手が外れただけだったけれど、目の前にした私はひどく驚いてしまった。
そんな私たちを尻目に彼女は笑った。
「障がいは可能性だよ」と。
私たちにその言葉の真意を説明する。
「私はこの会社に、一般的な枠なら受かっていなかったかもしれません。けれど、障がい者枠だったからこそ、受かることができました。障がいは可能性なんです。たくさんのチャンスをいただける、私はそんな風に思っています。」
それは私にとって、自分と真逆の一言だった。
差別される、健常者より劣っている、普通の仕事ができない。
そんなことばかり考えていた私に差し込んだ、閃光みたいな鮮烈な一言。
世界の見え方をまるっと変えて、まるで自分の障がいが当たり前みたいに笑って義手を外す彼女の姿は、輝いて見えた。
そのあと私はその会社を受け、最終面接で落ちてしまったが、今でも彼女の言葉は私の胸に刻まれている。
「障がいは可能性」
あの日から、そう信じて私は自分の道を歩き始めた。
障がいがあるからもらえるチャンス、障がいがあるから分かるマイノリティの気持ち、障がいがなければ分からなかった苦しみ。
可能性となって広がり続ける私の気持ちは、いつも私を奮い立たせてくれる。
もちろん差別されることもある、嫌なことを言われる時もある。
そんな時は思い出す。
美しい義手のヒーローの姿を。
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