私が初めてアルバイトをしたのは、老舗百貨店の本店地下にある高級菓子店だった。人が奔流のように途切れないターミナル駅直結の店舗とは違い、わざわざ目指して行かないと辿り着かない立地にあるその百貨店は、時代の趨勢に逆らうかのように「老舗」のプライドを漂わせていた。
一学生アルバイトの私は、「暇な割には時給が高くて運がよかった」などと気楽に構えて働いていた。人が疎らな平日の夕方は、10分に1回はウインドウを掃除したり、十分に補充されている備品の予備を作ったりして、あり余る時間をやり過ごした。自分の時給よりも高い1,200円のプリンを売りながら、「こうやって膨大な時間をお金に換算させて生きていくのだろうか」とぼんやり考えていた。
公演スタッフの仕事。あの時私はそこにいたという実感がある
学生時代、私は演劇界に片足を突っ込んでいた。プロになりたかったわけでも、演劇で食べていけるとも思っていなかった。だが期せずして劇団の研究生となり、必死に学んだ時期がある。
しかし、劇団の昇級試験に合格することはできなかった。生活の大きな軸を失い、呆然と過ごす日々の中で、人生初のアルバイトをすることになった。「私はまだ世の中をよく知らないから」。そうやって自分を納得させようとしても、この熱量のない毎日が「社会」や「労働」だとは思いたくなかった。
そんなある日、小劇場の公演にスタッフとして携わることになった。
型どおりの仕事はなく、自分で問いを設定し、判断しないといけない現場。果たして創作に寄与できたのか心許ないが、確かにあの時私はそこにいたという実感がある。
公演が終ったときに主宰から、「交通費にもならないけど」と、2万円が入った封筒を手渡してもらった。まさか謝礼が発生するとは思っていなかったので驚いた。資本の論理に照らし合わせれば、私がかけた労力や時間には、もちろん見合わない額なのだろう。だがその2万円には、額面以上の意味があるように思えた。
これが「働く」ということかと思った
ドラマ『北の国から』に、こんな名場面がある。純(吉岡秀隆)は、東京に行く長距離トラックに同乗して、北海道から上京することになった。父親の五郎(田中邦衛)はトラックの運転手(古尾谷雅人)に、お礼にと封筒を渡す。その中には、泥のついた1万円札が2枚入っていた。五郎がやっとの思いで作ったお金だと悟った運転手は、「受け取れん。お前の宝にしろ。一生取っとけ」と、純にそのお金を返す。
比べるのもおこがましいが、私が演劇の報酬として得た2万円には、泥がついていた。貧しさの中、苦労して得たお金という意味ではない。その2万円は、私という存在を確かにしてくれるような手応えを教えてくれた。時間への報酬として支払われるただの対価とは明らかに違う。これが「働く」ということかと思った。
「今月のお給料に泥はついているか」と問う
時が経ち、私は今、好きなことを仕事にできている。
仕事で悩んだとき、惰性で働きそうになったとき、自分の軸を見失いそうになったとき、事あるごとに問い直している。「今月のお給料に泥はついているか」と。
蛇足だが、「一生の宝にしよう」と固く決意したその2万円は、翌々日には靴に化けてしまった。
なんとも脆弱な意志だが、「泥」は私の心に生き続けている。