私は母方のおばあちゃんが大好きだ。
しかし、昨年10月に転勤を機に地方へ引っ越しをして以来、会えていない。寂しい思いをさせてごめんね、と葉書をもらうたびに心苦しい気持ちでいっぱいになる。

仕事帰りに毎日寄り道するほど、おばあちゃん家で過ごす時間が大好きだった

 おばあちゃんは実家から歩いて20分ほどの距離に一人暮らしをしている。5年ほど前まで美容院を営んでいたこともあり、81歳になった今もおしゃれに気を遣っている。
 私が子どもの頃はもちろん、27歳になった今でもおばあちゃんにカットをお願いするし、いまだ人生で他の美容院に行ったことがない。高校3年生の終わり頃、校則では禁止されていたがパーマをかけてみたくなった。そこでおばあちゃんに共謀を持ちかけたところ引き受けてくれ、結果一緒に母に怒られたこともある。髪型について私の希望を何でも叶えてくれる専属のスタイリストさんだ。

 実家とおばあちゃん家が近いこともあり、小さい頃から母に怒られたときの避難場所でもあった。また、年末年始や地元の夏祭りの夜など親戚が集まるときはいつもおばあちゃん宅だった。
 私が小学生の頃、新年におばあちゃんが作った玉ねぎとサーモンのマリネがとってもおいしく、喜ぶ私を見て以来毎年、紅白の縁起の良いものとして新年にはかかせない祖母の味となった。

 新卒で就職し2年間働いた地元の銀行は、帰宅時におばあちゃん家に寄り道してもさほど負担にならないような場所にあった。私が大学4年生のときにおじいちゃんを看取って以来、一人暮らしになったおばあちゃんはどこか寂し気で、話し相手になろうと毎日仕事帰りに寄り道するようになった。親子でも友達でもない私たちが、愚痴まじりの他愛もない話をする時間は、なんとも言えない心地の良い時間だった。
 おばあちゃんが寂しくないように、と始めた寄り道だったが、励まされ、居場所にしていたのは私の方だったと気づいたのは、転職し海外で仕事を始めてからのことだった。
 銀行を辞めてから2年間、私は海外で仕事をしていた。その間、おばあちゃんは慣れない国際郵便で月に1通ほどのペースで葉書を送ってくれていた。文末にはいつも「寂しいです」と添えられた葉書を受け取る度に、私は涙を止めることができなかった。

「また、遠くへ行くんだって」。地方で働くことになった私に、おばあちゃんはつぶやいた

 最近、母から聞くおばあちゃんの話には良いニュースがない。「またクレジットカードを無くした。」「病院に連れて行かなければならない。」「わけの分からないことを言っている。」など多数の愚痴がこぼれている。看護師をしている母に言わせてみれば、ボケが始まっているのだそうだ。
 けれども、私はそれをまだ信じたくない。周りで振り回される身にもなってよ、と溜息をつく母は、対応のめんどくささにおばあちゃん家へ足が遠のいてしまっているようだった。

 昨年4月に帰国した後、再就職先は都内の企業を選んだが、いざ辞令を受け取ると地方の事務所に配属が決まった。そのことをおばあちゃんに報告すると、おじいちゃんの遺影に「またみのり、遠くへ行くんだって。」と寂しそうにつぶやいた。その姿を今でも忘れることができない。またしても、気軽に会える距離にいられないのだ。さらに今年はコロナウイルス対策のため、県境を越えての移動を控えるよう会社から連絡があった。私は子どもと関わる仕事をしているため、年末年始も帰省を自粛した。長期の連休があっても帰れなかった。

寂しい思いをさせてごめんね。おばあちゃんに、そう伝えたい

 そんな中、1週間ほど前、おばあちゃんから電話がかかってきた。「土曜日ならお仕事もお休みかなと思ってね。」と。初めて雪国で暮らす私の生活の不便さと寒さを気遣い、今度帰ってくるときはサーモンのマリネ用意しておくからね、髪も切ろうね、という短い電話だった。

 私は自分のやりたいことのために海外で働く選択をし、そして今の仕事を選んだ。
しかし、大事な家族に寂しい思いをさせ、さらに恩返しもできていない。このままで良いのだろうか。電話を受け取ってからは、特に心苦しく感じるようになった。
 私のわがままのせいで寂しい思いをさせてごめんね、と伝えたい。おばあちゃん家まで車で4時間の距離にいながらも、見えない壁に阻まれている。寂しいのは私も同じだ。会いたくてもすぐには会えないもどかしさに押しつぶされそうな気持ちになる。
 サーモンのマリネを食べながら、昔のように他愛のない話ができる日を心の底から楽しみにしている。