私には、三つ下の弟がいる。私が高校を卒業するまで同居していて、よく喧嘩をしていた。その度に悪いのは私と押し付けられ、数えきれないほどの憤りを覚えた。大学進学を機に実家を離れた私は、必然的に弟との喧嘩もなくなった。

弟と話すことなんてないと思っていたのに

先日帰省した際、親族で外に集まる機会があった。両親は私より集合時間が早く、早朝に家を出た。私は弟の運転で、現地に向かうことになった。久し振りの二人きりの時間だった。喧嘩が絶えなかった弟と二人の車内。会話なんてないと思っていた。早く到着しないかなあ、そんな風に思っていた。
しかし意外にも、弟は進んで口を開いた。最近の母との話、大学の話、バイトの話。簡単な言葉だけど、面白かった。だって知らなかったから。弟がこんなにも話すなんて。こんなにも面白い人だったなんて。私はずっと笑っていて、弟は笑顔でハンドルを握っていた。車内には笑い声が響いていた。

そんな横顔を見て、物心ついた時から、私たちは向き合わなくなっていたことに気付いた。少しずつ、避けていたのかもしれない。それは年頃の姉弟として自然的なことなのかもしれないけど、弟の話に楽しく笑う自分がいて、楽しそうな弟がいて。私はなんて勿体ないことをしていたのだろうと感じた。もっと早く気付けば、もっと早くこの面白さと出会えていたのに。
そんな時、私はふと気付いた。反抗期や思春期を終えた姉弟には、新しい関係が待っているのかもしれない。何度も喧嘩をして、理不尽な思いをして、嫌いとまで思った弟。でも、弟とのドライブは楽しかった。沢山笑った。信号待ちの時、ルームミラーに後続車の親子が見えた。楽しそうに話していた。仲良し家族だなあと微笑ましく思った。そんなとき、私たちの前の車のルームミラーにもケラケラと笑う私たちが映し出されているのかと気付いた。もしかしたら、前の車の人は、私たちを見て仲良いな、とか、楽しそうだなとか思っているかもしれない。とにかく不思議な気持ちになった。

家族である空気感、繋がりを再認識できたのは弟のおかげ

気まずい関係だったはずの私たち姉弟の間には、空白の期間を経て、友達のような、仲の良い先輩後輩のような、そんな空気が流れていた。でも、「ような」なのだ。友達とも、先輩後輩とも言えない雰囲気だった理由は、紛れもなく、私たちが家族だからなのだ。この空気は、人生を共にして、いろいろな感情を向け合った、家族でしか出せないものだから。


本人には絶対言わないけど、今、私は弟が私の弟で良かったと心の底から思っている。ドラマや映画なんかで見る仲良し姉弟は、架空のものと思っていた。でも案外現実でもあり得るのかもしれない。私たち姉弟はまだ、「仲良し」を謳えるほどじゃないけど、いや、ただ照れくさくて認められていないだけかもしれないけど、いずれそんなふうに言われて、笑い合う未来もあるような。そんなことを気付かせてくれた弟には、本当に幸せになってほしいし、これからも笑わせてくれることを期待している。