「あなたにとって、映画ってなんですか?」
 かつて私の同僚が、酒の席でこんなことを聞いてきた。はて、私は何と答えたのだろうか。酩酊していたからなのか、自分の答えに覚えがない。ただ、そのあとの彼の言葉はとても鮮明に覚えている。
「僕はね、映画って文化そのものだと思うんですよ」
 その会話をしてからもう数年経つだろうか。私はその意味を今でも考え続けている。

「映画館」という場所を守っていきたい

 私は映画業界で働いている。それもフロントラインである映画館が、私の主な戦場だ。
 私がこの業界で働きたいと思ったのは、それこそ映画が好きだったからだ。映画好きというのにも種類があると思っている。大半の人が想像する映画好きは、多くの作品に触れ、ニッチな作品も網羅する、映画そのもののオタクタイプだろう。方や私は、好きになった映画を何度も観たり、一つの作品について馬鹿みたいに数十年も深堀りするタイプだ。マイナーな作品はあまり見ないけれど、好きな作品についてだったら数十時間はつらつらと語れるというのも、同じ映画好きの類であると思っている。
 しかしながら働いて数年でわかったことは、働くと決めた本当の理由が「映画館」そのものであったということだ。映画が好きだからここにいるのではなく、「映画館」という場所を守っていきたいから働いている。それに気が付くきっかけが、冒頭の同僚の言葉だった。

芸術というものは得てして、「人間の真理」を映し出すもの

 映画は文化。確かに当然の言葉だろう。文化芸術の一部として、映画というものは社会に存在している。だが、彼の言葉はこれだけの意味ではなかっただろうと、確信を持って言える。映画という芸術を(どのような形であれ)愛する者たちにとって映画は、人間社会を映し出す鏡にように感じている部分もあるだろう。

 芸術というものは得てして、「人間の真理」を映し出すものだ。何世紀経っても変わらない根幹にある人間の価値観を、芸術はさまざまな形で表現する。それが映画という形になると、より刻銘に私たちの目の前に「真実の瞬間」を突き付けてくる。そこに美を感じるのか、生を感じるのか、また死や絶望や醜さを感じるのか、それは個人の自由だ。映画という「鏡」で映し出された人間社会に対する私たちの「感情」、この二つが重なった時、新たな価値観が生み出される。そしてそれを共有し発展させていくことこそ、文化の礎を作ることと同義なのではないだろうか。

映画館は失くしてはならないかけがえのない場所

 映画館という場所は、そうした文化の下地を作る役割を担ってきた。映画は社会を映し出し、人々を啓蒙し、時に耐えがたいほどの現実を見せつけ、時にどん底で藻掻く人に力を与える。映画という共通言語で思想を語る場所を守ることこそ、文化を守ることそのものではないだろうか。

 その考えに至った時、私はここに立つ意義を見出した。少しでも多くの人に映画を見てもらうこと、そしてその人たちが安心して「感情」を吐露し、共有し、発展させることのできる場を作ること。そうして醸成された価値観が世の中にとって善いものとなるように、陰から支えていくこと。それをできるのが「映画館」という場所だと、私は意味づけている。

 昨今のサブスクリプションサービスが人々を映画館から遠ざけていると思われがちだが、作品から受ける感情を自分の中に見つけるという体験は、映画館のあの雰囲気の中でこそ輝くことだろうと思う。
自宅の座りなれたソファではなく、誰かの人生の軌跡が残るシートに間借りして、スクリーンから照り返すスポットライトのような光を顔肌に感じながら、身も心も映画に浸りきる。
生活音が一切合切排除され、その空間がただ私一人のためだけにあるかのように思えた瞬間に、人生を変えてしまうほどの感情の高ぶりを映画から得ることができるだろう。
主人公の言葉の一つ一つが身体の奥まで沁みて、見たことのない風景が瞳に反射し吹く風の優しさまでも感じさせ、いつか心の底にしまい込んで見て見ぬふりをした「あの時」の感情を呼び起こしてくれる。それが人生の追体験であり、本当の自分自身に気づくことなのだろうと思う。
そうしてエンドロールを迎えた時、「私はこの世界でどうやって生きていったらいいのだろう?」と思索をめぐらすのだ。

 文化というものは、一人一人が生きた軌跡の集大成であると私は考えている。情報が氾濫し、足元を掬われるような思いを日に何度もしてしまうような世の中だからこそ、生きる希望を見出し、その足で立って歩けることに気づける場所が必要なのだ。それが私にとっての映画館だ。本当は高性能の設備や最新鋭の映写機なんていらない。映画館は誰かと観るための場所だけでなく、大切な自分自身と向き合うことのできる数少ない社会のオアシスなのだと私は信じている。
だからこそ、映画館は失くしてはならないかけがえのない場所だと思うのだ。

 その場所を守るために、私は今日も働いている。誰にも気づかれなくてもいい。その代わり、誰よりもこの場所を愛そうと決めた。今の価値観を守るために。変わらないものを遺すために。そしてより善い未来を創る手助けをするために。