母の手を思い出すとき、ぼんやりと頭に浮かぶのは、母が30代のときのそれだ。
今現在母は50代で、その頃の手とは違うけれど、やっぱり私は、今でもその手を思い出す。
その手は、私を様々な場所へ連れて行ってくれ、私を楽しませ、学ばせ、そして何よりも守ってくれた。
私にとってそれは、とても優しい手だ。
母と外出する際、手をつないでいたのは何歳までだっただろう。6、7歳頃までだろうか。(私が生まれたのは母が30歳の時らしいので、このときの母は30代だ)

平日昼間に母を独り占め、つないだ手をくりん、くりんと揺らして歩いた

母の手に関する特に大切な思い出がある。それは、私が5歳の頃初めて映画館で映画を観たときのものだ。
その日、それは平日だった。
私と母は、食料品の買い物と、ドラえもんの映画を観ることを目的に、車で中型の商業施設に行った。(今思うと、なぜ平日の明るい時間に出かけられたのだろう。もしかすると、小学校に上がる前の調整日のようなもので、幼稚園が休みだったのかもしれない。)

母と二人で出かけるのは新鮮で、私はどこかわくわくした気持ちでいた。いつもなら、土日に祖母と母と、私と弟で出かけるからだ。
もしかしたら、母を独り占めできたような心地でいたのかもしれない。
おそらく、食料品を買う前に映画を観たと思う。
商業施設の中を、母と手をつないで歩いた。華やかに飾られた店が、どんどん視界から遠ざかっていって、私と母は、映画館の前に着いた。
この日に限らず、外出時はいつもそうなのだけれど、母は手をつないだ状態で、手を、くりん、くりんと、左右に、リズミカルに、振るようなことをしていた。
この日も、映画館の前に行くまでそうしていて、私はそれが嬉しかった。いつも嬉しかったから、私はそれを何度もせがんだ記憶がある。

薄暗い映画館の天井に瞬く星を見て「きれい」と微笑みあった

そうして着いた映画館の前は、映画館の前と言っても、目の前にエスカレーターがあり、それで上へ昇ると映画館に入れる仕組みで、そこは映画館のエスカレーターの前だった。
もうこの辺りから周囲の照明は薄暗く、「映画館らしさ」が、エスカレーターの上からドライアイスの煙のように、ゆっくりと漏れてきているようだった。
もちろん当時の私は映画館に入ったことがないから、そんなことはわからなかったけれど、薄暗さから、大人っぽさは感じていた。
エスカレーターに乗り、それが動き、真ん中まで来ると、天井の下に、もう一つ天井が現れ、それは半円のような形をしていて、エスカレーターを飲み込み、周囲は益々暗くなった。
母が「あっ、見てごらん」と言って、私とつないだ左手を、手はつないだまま、軽く振って合図をし、空いている右手で、天井を小さく指差した。
私が言う通りに上を見ると、そこには無数の人工の星たちが、きらきらと瞬きながら存在していた。
「きれい!」
私は嬉しくなって、小さい子特有の、ハイテンションな喜び方をした(と思う)。
母の顔を見ると、母も「きれいだね」と言って笑っていて、そうして私とつないでいる左手に少しの力を込め、私の右手は更に温かさに包まれた。

生活感のある母の手に守られていることを確かに感じた

映画館の中に入ると、壁際に、ドラえもんのスタンプがあった。それはスタンプラリーで押すような大きなスタンプで、おそらく映画館限定のものだった。
私はそれが押したくなったけれど、私も母も、白紙を持っていなかった。
すると母が、何か思いついたように、カバンから買い物メモを取り出し、折られていたそれを真っ直ぐにし、裏面のまっさらな方を表にして、私に渡してくれた。

そのときの母の手の甲は、天井に付けられた小さなスポットライトに照らされていて、薄闇のなかでそこだけが、白く、艷やかに、でもどこか生活感を持ちながら輝いていた。
その手はきれいで、また、その生活感に私を守ってくれている優しさを感じた。
このときの母の手は、美しく、私は誇らしいような、嬉しいような気持ちになった。

今でもこのワンシーンは、私の記憶に鮮明に残っていて、今後もそれが消えることはないと思う。
コロナ禍で、遠くに暮らす母と会えずにいるなか、私は母の手に、思いを馳せている。