今まで戦争ものの映画を見たことがあるが、その中でも一番印象に残っている映画がある。それは彼氏と映画館デートをしたときに見たもので、希望の映画が満員で見ることができず、「じゃあ違う映画でも見ようか」と、何も考えずに選んで見たものだった。

私たちの世界とあまりにかけ離れた、戦争の実態

 タイトルは『ヒトラーの忘れもの』。舞台は第二次世界大戦直後のデンマークで、ナチスが埋めた二百万個の地雷をドイツの少年兵たちが撤去するという話。デートには不向きの映画だったと思う。映画を見終わったとき、お互い無言で映画館を後にした。映画の中の少年たちの世界と現実の私たちの世界の差があまりにも大きくて、そのあとのデートを楽しんでいいのかなと罪悪感を覚えた自分がいた。

 ヒトラーといえば、ドイツ国家元首でナチスの指導者。ユダヤ人の迫害で有名な独裁者である。私もよく歴史の教科書で学んだ。特に「アンネの日記」など幼い少女を強制収容所に入れるなどひどいことをした人だというイメージを持っている。私の頭の中で「ドイツ」は悪者だという認識でいた。

 だが、私は『ヒトラーの忘れもの』という映画を見て、そんな単純な問題ではないということを痛感させられた。戦争は終わったのに、少年たちはただ「ドイツ」の兵隊だということだけで家に帰ることができず、デンマーク軍の指令で危険な地雷の撤去作業を課せられる。「お前たちの国が埋めた地雷だろう」と。食べ物も十分に与えられず、イギリス兵から小便をかけられるひどい場面もあった。地雷撤去に失敗して命を落とす少年たちもいた。見ているのがつらくて途中で私が目をつぶってしまう場面も多々あった。それぐらい重くてつらい内容だった。少年たちの年齢は私より十歳以上も若く本当にただただ純粋な子たちだった。無事に母国に帰ったら何をしよう、こんな夢があるんだ!と、互いに励まし慰めあっていた。

目をそらすことも逃げることもできなかった人たちのことを忘れてはいけない

 少年たちは何も悪いことをしていない。ただ「ドイツ」に生まれたというだけで、兵隊として敵国に駆り出され、捕虜として戦後も過酷な現場にいないといけなかった。加害国である「ドイツ」でも少年たち一人一人に夢があり人生があった。そんな当たり前のことを私は忘れていたんだと改めて気づかされた。国のトップの判断で、その国の人々の命や生活が脅かされた。人々は巻き込まれただけ。民間の人々を巻き込むのでなく、国のトップどうしで腹を割って話をし、その人たちだけで国どうしの争いを解決できたらいいのに。心からそう思った。「戦争」というのは加害国、被害国という一言で表せるような単純な問題ではない。もっとその国の一人一人に目を向けた見方をしないといけないと思った。

 ある知り合いに「よく休みの日に、そんな暗い映画見るね。私なら見たくない」と言われたことがあった。その人の本音だと思う。確かにそうかもしれない。戦争ものの作品を見るのは、正直しんどいしつらい。目をそらしたくなる自分がいる。実際、映画の最中、自分も目をつぶってしまっていた。しばらく鑑賞し終わったあとは、気持ちも重く、ずーんと落ち込むこともある。

でも当時の人たちは、目をそらしたくてもそらせなかった。現実世界として嫌でも向き合わなくてはいけなかった。あの過酷な世界から逃げられなかった。逃げることができる選択肢がある時点で私たちは恵まれているのだろう。いつかちゃんと目をつぶらずに映画を見られるようになりたい。