私が人生で一番好きになった人は、高校の先生だった。
彼と出会ったのは、高校3年生で18の時。当時、この想いを彼に伝えた時「ただの憧れだよ」と笑いながら繰り返されてきたが、それから様々な人と出会い、付き合いを重ね数年経った今でも、これ以上人を純粋に想うことはないと確信している。
生徒と教師だったけど、私たちはお互いにとって「特別な存在」だった
彼はとても真面目でお人好し、それでも人の気持ちを誰よりも理解して寄り添える。彼の良さは誰もが認めていて、そこに惹かれた1人が私だった。
そんな彼にも変わったところがあり、自分のことは決してさらけ出すことのない人で、常に自分の内情に関しては必要以上に他人との壁を作っていた。そして、それを知っているのは、生徒と教師としては奇妙な関係で繋がった私だけだった。
私たちはただ偶然に、言葉にしなくても相手の思うことが手に取るようにわかり合うことが出来、お互いが「ここまで似てる人はいない」とよく口にする程だった。
歳は離れているものの、下らない話から真剣な話まで、友人とも恋人とも名前のつかない関係でお互いを励まし合い支え合い、時に感謝も伝えながらもちろん一線を越えることはなく過ごしていた。そして、お互いにとっての特別な存在になっていった。
彼に想いを伝えて、返ってきたのは想像すらしていなかった返事だった
それまでまだ聞いたことはなかったが、彼には人と壁を作る理由があり、人と名前のつく関係を嫌っていることを知っていた。彼は、元々私の気持ちを知っていたがわざと触れずに、私もそれをわかっていてこれ以上の発展や関係を求めるつもりはなかった。
しかし、高校卒業を機に言葉で気持ちを伝えて、白黒ハッキリせずにはいられなかった私は、彼に想いを打ち明けたのだ。
彼から返ってきた言葉は「あなたとは同じ気持ちでいる」という言葉。そして「持病を患っているから誰とも一緒になる気は無い。一生一人で生きていく」という想像すらしなかった言葉だった。
まだ浅はかだった私は、その現実に納得することが出来なかった。「いつかわかるよ」という彼に、「答えが欲しいの」と迫った。彼と一緒に居たいと何度も彼に言葉を投げかけた。
その時の私はどうにかして、彼と自分の間に名前のある関係が欲しかった。「病気でもそばにいたい」「寄り添っていたい」と訴え続けたが、彼がその言葉に耳を貸すことはなく、名前のない奇妙な関係のまま月日だけが過ぎていった。
私は何もわかっていなかった…。彼にはもう謝ることも出来ない
もどかしさから、時折彼に対する態度が当たりの強いものになり、幾度となく困らせてしまった。「これからどうなるかわかる?」とふいに訪ねられた時、私は食い気味に「わかるよ」などと言ってしまったが、何もわかっていなかったのに。自分のわがままで彼を困らせ、結果自分よがりになったまま彼との連絡は途絶えてしまった。
そんな彼は私の知らない間に、もう一生会うことの出来ない存在になっていた。何も知らなかった。私がそれを知ったのは共通の知人からの連絡で、亡くなった理由は自殺だった。
自分だけが辛いと思い込んでいた私は、浅はかでもう謝ることすら出来ない。私は何もわかってはいなかったのだ。
彼にどうしても謝りたくても謝ることもできない、例え彼が生きていたとしても謝ることさえも…。また自分勝手なのではないかと思ってしまう。
名前がなくても、相手を信頼し合い側にいればそれだけで十分だったのに、何故多くを求め過ぎてしまったのか…。もし、あのまま私が彼に何かを求めずに特別な関係でいられたなら、彼を救うことが出来たのではないかと、毎日考えてしまう。